N E A T S O R G A N I Z A T I O N !
Radio
'neats.rpm'
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ぼくとワレワレ #69 朝になっても直らなかったので電話して直してもらった。つわけで直りました。BBSとかももとどおりです。あい。ところで俺の近況だがこないだも書いたが年末進行だギャーそしてビーボより美味いのはビーボだけ! なのであった。
ぼくとワレワレ #68 さくらインターネットのクソサーバが重すぎだ。夕方くらいから重くなった。なんなんだ。CGI関係はすでに全部死んだ。うちのアクセス負荷とかではないみたい。つーか前やってたページではこの3倍ぐらい人来ても平気だったのに。あーあのときはBBSは外だったんだ。しかしそれでもおかしいよこんなサーバ。うんこだよ。1時間に1000人とか来てるわけじゃないんですよ。たぶんこの鯖に入ってる他の奴のせいだと思う。このゴミサーバが。バーカバーカさくらインターネットー。うんこたれー。お前のかあちゃん白髪ー! ババー! ぎゃは! さくらインターネット変な名前ー。やーいさくらインターネットのカードキャプター! おならくさいぞさくらインターネット! コラ!
普通 #83 持病の年末進行が悪化したため作者急病のため取材のため、そういえば今週のマガジン読んだかよコノヤロー! あのさ「337ビョーシ」にさ、こないだ勝手に改造で提唱されていた携帯でメールを打つときの音「めるめるめるめる」が使われていたよな賢明な諸君らは気づいたと思うが。それとは全く関係ない話を書くが、Winnyで奇面組のオープニングとエンディングをダウンロードしてたんだけど、なんでかというと作りがPVになっていておニャン子クラブで非常にある種の何かのひとかどの時代と添い寝の象徴的な物件だったので集めてみたのだ。オープニングは全部集まったよ。エンディングは1個しかねえけど誰かくれ、よこせ、食わせろ、お〜れは〜人食い〜狼〜だ〜ぜ〜た〜べ〜ちゃ〜う〜ぞ〜。今とっさに作った歌を世界中に披露してしまった。インターネットのせいで取り返しのつかないことに。 で、Winnyの野郎が本編もダウンロードされてあそばされてたのでせっかくなので観た。最後のほうの何話かだった。観てわかったんだがこれはすごくアレだね、オタクの物語なんだね。古い懐かしいオタクの世界観が打ち出されていたよ。80年代のアニメを観る醍醐味がたっぷり詰まってたよ。オタクの物語っていうか、ホントはこれ主人公は河川唯なんだよね。でオタク的なものちうかナード(ギークじゃない)的なものの象徴としての奇面組がいてさ、ワタシはアレじゃないけど、でもアレが好きなの、という自分に都合のいい世界を周囲に強要すること世界が構成されてるわけよ。そういう意味で河川唯はカマトトなわけだが、それを裏付けかつ強化するものとして河川唯は「ワタシが周りから好かれている」という色恋沙汰とかに異常に鈍感なのね。ほとんど嘘だろっつうぐらい鈍感ていうか実際自分は一堂零のことを好きだという自覚があるわけで、そのうえで他人が自分を好いているのは不自然なほど気づかない、というか気づいてんだけど要はカマトトなわけですよこの女は。でもモテなくてもいいんじゃなくてちゃんとワタシは学校イチかっこいい男子に告白されたりされますよというふうに世界に強要し続けているんだが、さんざん告白されたりしても「えー」とか言ってカマトトなわけですよ! それが80's的かわいい女子の不気味な偶像であると同時にオタク的なものを受容する装置になっててモラトリアムですよ! それは主題歌のおニャン子クラブがセックスに関する内容やドス黒い女の想いなどをファンシーなドアノブカバーのような「甘ったるいものすごくベタにかわいらしげなモノ」でオブラートのようにくるんでさらにわざとオブラートの端から薄気味の悪いモノが覗くようにしながら人々に伝えるというそのイビツな姿がまさにリスナーの熱狂を呼ぶという姿と重なるのだが、おニャン子というかアイドルブームというか音楽、は、それによって音楽業界における「アイドル」のレディメイドな姿を完成させ、現代までその思想を脈々と受け継ぎながらムリヤリ社会に浸透させることに成功したが、あっ、でも冬の時代もあったが、高橋由美子をグッピーとか呼んでたころはひどかったが、それはいいとして、アニメの方は途中で社会になることを捨ててしまった。何を言っているのかサッパリ分からんが俺の中では分かっているのでよしとしよう。 で、河川唯はあの世界が永遠に続けばいいということを思っているのは間違いないわけなんだけど、その点で彼女は「うる星やつら」におけるしのぶと全く同じ心理にあるわけです。変化を求めていない。おかしな連中がいる中で、社会的な立場を明確にせずに、でも正月に家族とこたつでみかんを食ったりする程度には社会と交渉しながら生きていたいわけですよ。「ワタシ」は「わりとまとも」なんですよ。「ちょっと変わってるって言われるんです〜」程度にマトモなわけですよ。自分でワタシは天然ボケだとか言いたいわけですよ絶対言わないけどっつうかつまり「この世界を創造した河川唯」は「この世界でのワタシ」を「天然ボケっぽいけどマトモな少女」として規定したわけですよ。だから作中でオタクであるものは彼女じゃなくて「奇面組」である必要があるわけですよ。ワタシはそうじゃない(ホントはそうなんだけど)オタクの部分をやってくれてる人たちで、ワタシは彼らが大好きなわけですよ。よくよくひどい話だねェ。ひどい話だが、これは彼女がいかに自分自身すら騙しながら、自分の欲望に忠実な世界を構築しているかという元来ドロドロした物語なので、彼女は決して悪いわけではないのである。この場合の「世界」というのは「一応高校」とか「友人関係」とかじゃなくて、それが準拠している作品世界自体のことだろう。この世界の神として全てを統べているのが河川唯なのです。 つーかよく言われることだが80年代のテレビアニメはほとんどがうる星やつらの影響を受けているらしいんだが、奇面組も例外ではないなと思ったがしかし少なくともこれに関して言えばその影響とはアニメとしての技術や話法ではなくて世界観そのものだったよ。両者の違いは、しのぶはついにあの世界の神にはなれなかったが、ドアノブを作ってもなれなかったが、そしてそれが失敗したこともまたあの物語の決着の1つになっており、だからあのエピソードはうる星やつらの終盤で語られたのだが、だが、河川唯は最初から最後まであの世界に君臨し続けていた、ということである。しのぶのように、もしくはビューティフルドリーマー的ラムのように「永遠にこれが続けばいい」と思っていた彼女は、原作では「作者がタイムスリップして過去に戻る」という手段で永遠に高校3年生を続けることができるわけだが、有名な最終回の夢オチも、よーく見るとタイムスリップのもう一巡目に過ぎないわけで、そんなこた奇面組に詳しい人には常識なのかもしれないが、俺はなるほどなあと思った。こういう形でこの世界は永遠に閉じたままでループし続けるように完成されたわけですよ。作者すら巻き込んで世界は河川唯にチヤホヤするように成り立っているんである。で、これが河川唯の夢であったということもまさに彼女が主人公であって彼女のわがままによって全世界が運営されているということの裏付けなわけである。というのは「夢であった」ということが重要なのではなく、「奇面組の誰か、たとえば一堂零の夢」ではなく「河川唯の夢」であったということがポイントなんだよパーティーピーポー。現実の「奇面組」であるオタクからしてみれば河川唯というのは自分たちがこんなんで好きにやってても自分たちを好いてくれるうれしい偶像なんだが、河川唯からすれば社会的になることを先送りにしながら奇面組および全世界から自分を甘やかしてもらいたいわけで、両者の望みは本当は一致していないのだが、現実としてもたらされて欲しいものが一致しているので合意に至っているんだろうか。こういうのは現在のアニメは現実社会を放棄してしまったため見られなくなったが、いざ現実においてオタクの人たちが顔をつき合わせると普通の社会をやらざるを得ないため、まれにこういう古いタイプのオタク的社会が現出したりする場合もあって面白い。ファミレスとかで。どう見てもオタクの男子6人と全然かわいくもないけどものすごいオタクオタクしてるわけでもない女子1〜2人で和気藹々としてんだか牽制しあってんだか女子が女王なのか分からねえ不思議な世界を築いている様を見たことないすかね。俺はある。あれがそうです。が、これもパターンとしては古くなっていて現在のオタク同士はもっと「平凡な社交の典型のような」、つまり極めて不自然な、社交をすることが多い。例えば、うーん、名刺を配りまくってみたりとか、かな。もっといい例がありそうだが思いつかない。 ともかくそんな世界観にスポイルされつつ80年代的オタクは薄暗く湿った部屋の中で培養されていくわけだが、俺はこういう甘ったれた世界は大好きなのでハイエナのようにヨダレを垂らしながら享受したわけだが、んで思ったのはこの世界観が壊れちゃったのっていつなんだろうね? やっぱ宮崎勤とかなのか? 社会的な事件はどうでもいいが作品にそれが壊れてるとこがハッキリ現れたのはいつの何なんだろうか。すごい気になる。つまり社会的な立場を手に入れることを放棄しているアニメ。作品じゃなくてある時期から突然アニメの中から現実社会が消えたのかな。奇面組はオタクだけど社会と地続きなんだよね。僕らはメインじゃないけど社会の片隅に僕らの世界はあります、と自分たちを解釈してるわけですよ。今のアニメってそうじゃないもんね。完全に違う場所の物語だもん。今はアニメの中に「本物の僕ら」が出てきてはいけないのが前提であって、というか奇面組の頃はあれに「本物の僕ら」を同一視というか夢を描くことができたんだけど、今はそういう夢が持てないというか、むしろもうそんなのはいらないからほっといてくれという気持ちになってるんではないかと思う。世界のことがホントに嫌いになってるのか、でなきゃ嫌いじゃないけどあそこの一部になる必要はもうさほど感じないというようなものが多いね。
quote #14 週末は四国に旅行に行った。本当に仲の良いみんなが、親友の誕生日を祝うために企画した。シャンパンで乾杯した僕らは幸せな気持ちで飛行機に乗って出かけた。美しい景色と素晴らしい食事、羽根を伸ばせる施設と環境、それらは誕生日のプレゼントとして唯一無二のものだった。贈った者も贈られた者も、みんながそのことをうれしく思い、自分たちのことを誇りに思った。しかし本当にうれしいのは僕らが僕らで一緒に旅行に行って、誕生日を祝えることだった。他にも連れて行きたい友人達はたくさんいたが、それでも僕らがこのメンバーで出かけることをうれしく感じたことには変わりがない。誰もが優しく、誰もが幸せになりたがっているし、誰も誰かを傷つけたくない。誰も信じられないから、誰かのために何かをしたりするような人たちばかりだった。 みんな面倒なことは嫌いなんだ。そもそも俺は争いごとが嫌いだ。他人を倒すことに面白みをあまり感じない。どちらかというと時間の無駄だ。 みんな本当に恥ずかしがり屋で、傷つくのが嫌いだ。まるで子供みたいだし、実際僕たちはみんな子供だ。俺は自分を子供だと思うし、子供が持っている大人に対する最大のアドバンテージはまさに子供であることだと思うので、俺は子供であることをやめたりしない。しかし俺は同時に人間として突き抜けなきゃいけないことを知っている。そして大人の方がその点てんで子供な部分があることを知っている。そういう大人を見ると俺はだっせーのなと思う。俺だって前はそうだった。そういう意味では世の中にいる大人の連中はてんで子供だ。だいたい俺だって前からこんな人間なわけじゃない。俺が絶対にあきらめたりしないと思ったのは、2000年からだ。俺でもできるようなことが、できないような気になって、代わりに気の利いた発言をひねりだして自分をクレバーに見せたりする大人は本当にくだらない。自分にはそれしかできないというのなら、それが子供ってことだ。 だが、俺が旅行に行く前、もしできたらここに書こうと思っていたのは次のようなことだ。 大人はいいなあ。子供はカッコ悪いなあ。大人は肩が凝ったりするので温泉に入って気持ちいいとか思えるからいいなあ。大人は自分のペースで酒を飲んで酔っぱらえるのでいいなあ。大人は恥ずかしいことをするときに、おどけただけだとか俺は大人だからとかしなきゃいけないとか言い訳しながらしたりできるのでいいなあ。子供にはそんなことできない。子供は恥ずかしいとき、うつむいていることしかできない。 でもそれを書けなくなった。 ゆっきー、西島くん、今なにしてるかなあ。ゆっきーにメールの返事を出せないまま、12月も中旬になってしまった。浅見くんにも会いたいなあ。浅見くんが「僕のことなんてみんな忘れちゃったと思ってましたよ!」と笑って言ったと聞いたとき、俺は駅で降りたときに彼に電話をしなかったことを恥ずかしく思った。俺もまだ突き抜けてないんだ。だから俺は前述のようなことを書けないような人間だ。浅見くんもまだまだだ。みんなまだまだなんだ。俺がゆっきーや西島くんのことを思い出したのは、彼らが圧倒的でクールな人たちだから。そもそも夫婦だ。その時点で俺らとは格が違う。 大人は頭がいい
大人は楽しい イエー
自分に責任を感じたりすることは誰にでもできる。そういう場合、ときに大人は自分なんかいなきゃよかったとか言う。また、この責任は全部自分にある、とか言って黙ってしまったりする。どうしてそういうことをするかというと大人にはそれが定番の謝罪の文句だからだ。だが本当はそんなのは問題を封じ込めているだけで何の言葉にもなっていない。謝罪にすらなっていない。だから俺はそれ以外の言葉が聞きたい相手なら、それ以外の言葉が出てくるまで相手の口を見つめていたりする。俺は人を信じやすいのだ。 しかし俺が最後にバスを降りたときに思ったのは、またちょっと違ったことだった。関東は90年ぶりの大雪だかで大騒ぎだった。俺はそれははじまりだったのかもしれない。大人になってゆく何かなのかもしれない。そう思った。なにかに終わりがもたらされて、新しい何かがはじまるのかもしれない。それは本当は今年の夏には終わっていたことだったし、そもそも4年前には終わっていたことだった。それに本当の終わりが来たのだ。だって四国は雨ばかりだったし。 it's still raining hard in the highland 俺はそういえば珍しくそれを歌っていた。 but it means some kind of happy birthday つまりそういうことだったのではないかと思った。 so goodbye,goodbye だがそうではないと今では思う。これはまだそうではないと思う。僕らはみんな、まだそんなところにも達していない。てんでガキだ。ただめそめそしょぼくれてるだけだ。ひとつだけ言えるのは、俺は大人の理屈とか男女の機微とかそういうへったくれが大嫌いだ。 俺の書いたこの文章はまったく誰にもわからないと思う。当事者にもわからないだろう。この文章は誰かに何かを理解させる機能を極力排除したから当然だ。第一この文章に書かれていることの大半は、俺が本当に言いたいこととはまた違った種類のことが書いてある。俺はウェブに独りよがりで意味不明な文章が置いてあるのが嫌いなので、だがこれを書かねばならなかったので、こんなふうに極端なものを意図的に書くしかない。だからこの文章はまったく優れていない。俺はとても残念だ。しかし俺がなぜこれを書いたかというと、それでも誰かに俺が思ったことを伝えたかったんだと思う。誰にかはわからない。俺にかもしれない。 真赤なハートはじけて
おかねをつかう #81 曜日の感覚がほとんどねえなあ。出てる雑誌で判断してるよ。その雑誌も買うのが遅れたりするのでわけがわからん。サンデーとマガジンを読んでないのだが木曜日であってモーニングが出ていた。モーニングだけを買う。あのー、俺がモーニングに載ってるマンガの中でつまんねえつまんねえ言ってるのはブラックジャックによろしくとかなのだが、最低だとか思って読んでないのはシバオーとか、あの何? 蕗のなんとかいうくだらねえマンガだ。それにあれだよ、ブラックジャックによろしくは今週はちょっとだけよくできてた。面白くはないけど今週までに張ったセリフの伏線をキレイに消化してたんで気持ちがよかった。その後の展開はつまんねえんだけど。ホント嫌いだよなあ。その他のマンガは、えーとesだっけ、あれがエロい展開になったら面白いと思うが、ならないだろうな。あとバーバーハーバーだっけハゲのやつ。あれはやっぱ面白いね。女性が描いているマンガにありがちなエグさがいいね。週間石川雅之はとてもがんばってて面白いが「のこりび」みたいになるとつまらないのでバランスが心配だが作者は賢そうな人なのでなんとかなると思う。でも女の人の顔がけっこう全部一緒だ。というか作者のサイトの日記によるとシリアスな路線が少ないのは没になった話にシリアスなのが多いとか。差別とか。 どちらも要は差別問題に引っかかる恐れが0パーセントではなかったという理由です 当然そんな趣旨で書いた作品ではありません バリアの活動団体の方にご意見伺ったのですが この作品に何の問題も無いとの意見もいただけました でも実際は「掲載見送り」です
編集さんが言うには
「当事者ではなく 無関係な偽善者がわざわざ抗議してくるほうが多い」とのこと えせヒューマニストですね 要は 北野武監督が「車椅子の奴がとんでもない悪人なほうが面白い見せ方が出来るときもある」と仰られていたのですが同感です 乙武さんが活躍するのを見て「あなたは障害に前向きかもしれないけど みんながみんなそうじゃないから自重しろ」という意見を寄せてくる方もいるそうです あなたはどう考えますか
そしてその没作品をここのページに載せて広く意見を伺おうと思ったのですが もったいねー。もちろん俺は障害だろうが何だろうがどうでもいいのであるので、障害者だろうがなかろうが差別はしないので、したがってオトタケはウザいと堂々と言える。
普通 #82 いろいろあって疲れたねる
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