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読む男 #39

たまたま空き時間があったので北田暁大「嗤う日本の「ナショナリズム」」を買って読む。俺はこの本、2チャンコロの本じゃないと思って買ったんだよね。で、読んでみたら、いきなり電車男を読んで泣いた話が書いてあって、あらーん? と思ったんだけど、それはたぶん本としてのツカミであってやっぱり全体としてはチャンコロ本ではなかった。チャンコロばんざい! という本なんて、たとえ俺が「2ちゃんねる大好き」だったとしても読みたくないはずだ。そしてその理由はの1つはまさにこの本に書かれているように2ちゃんねる的な言説がアイロニーを含んでいるから、そして俺が「2ちゃんねる大好き」ではないのも、この本に書かれているようにチャンコロはアイロニーを含みながら「感動」を指向しているせいだ。

チャンコロばんざい! という本じゃないくせに、オビに「キター」とか恥ずかしい(この本で書いてあるような言葉をあえて使うなら無反省的な)顔文字が書いてあるのは最低のセンスとしか言いようがないなあ、なぜ作者はこれを認めたんだろう? と思いながら読み進めると、最終章でこの本は後述するけどチャンコロばんざい本としか言いようのない地点に着地していて軽いショックを受けた。あははは。

ともかく、このまとまり方だと若い読者や社会学的な本にあまり触れたことのない人の比較的多くは、この本の言う「ロマン主義的シニシズム」を何か「新しい主体のあり方」として「肯定的に提示されている」ように感じて、「獲得しようとする」という、奇妙な行動に出てしまうんじゃないかと思う。作者が思っているほど、みんな賢くなんかないんだ。それは別にどうでもいいことだけど、書こうと思った意味として本が読まれないのは残念なことだし、その読まれない形が、書いてある内容に絡め取られているようなのは社会学の本としてどうだかなあ。

しかしさー、チャンコロが自己に自覚的であるということの根拠のひとつとして作者はzenhiteiの(ここで激しく笑った。あと、二階堂とか書いてあったのも笑った)言葉を引用しているが、チャンコロが「自分たちは踊らされる方が楽しいから踊らされているだけ」的な発言をする場合、それはやはり自分が完全にアイロニカルな位置に立ち得ている(2ちゃんねる自体からすら超越的な立場で発言し得ている)とするための免罪符として機能する。まさしくこの本が言うような「ヒきつつノル、ノリつつヒく」ということを彼らは念仏のように唱え続けながら、ロマン主義的な感動系に乗っかる自分を肯定してるんだよね。まあ俺はそこが気持ち悪くてずっと嫌だったんだけど。これってさー、2ちゃんねるの「閉鎖騒動」の頃から急速に表だったと俺は思うな。gzip圧縮を実装したりしたぐらいで数百万の借金がゼロになるわけないのであって、だいたい2ちゃんねるのサーバの維持費なんてほとんど言い値というか馴れ合いみたいな部分が多分にあるはずだと俺は思うんだけど、要は茶番なんだけど、チャンコロはその感動ストーリーにすんなり乗っかるんだよね。

でも、それは最初からそうだったんだと思う。それが最初から2ちゃんねるという板の特徴だったはずで、作者はたぶん、今の感動系な2ちゃんねるに、「もっと面白かったのにー」って思ってるはずなんだけど、2ちゃんねるなんてずっと前からそうだと思うよ。「まじめな人たち」が、「悪い奴ら」に「身をやつして」、「アイロニカルな立場を奪取し」、そして「自らの正義を語る」場所、だったよ。俺がチャンコロに対して気にいらねえなあと思うことの1つは、「2ちゃんねるにだっていいところがある」「2ちゃんねるで感動するとは思わなかった」という言い方なんだよね。この本に出てくる大月隆寛(a.k.a暴力でぶ)の2ちゃんねるについての文章が、「この『悪場所』、熱い議論や論争、真面目な論戦などが日々展開されている場所でもあります」から始まっているのもそう。こういうのすげー恥ずかしくないの? という気持ちになる。「なんだかんだ言って真面目であることこそ本来的です」ってんでしょ? 極めて形式的な、儀礼的な、手続きを踏まないと、「戦後民主主義的な価値観を突破」(そもそもこんな題目を掲げるのもどうか)できない! って言い張っちゃってるんだよね。うわー。

アイロニカルな立場というのは、この本の解説している理屈に近づけると、本来の自分の立場とは別の位置から対象を語るから効果を発揮するんだけど、俺の考えだと、聞き手に対してその「別の立場」こそが本来であると錯覚させればさせるほど、すなわち「本来の自分」の所在を希薄にすればするほど(隠蔽と言ってもいい)、アイロニーは強い衝撃を与える。2ちゃんねる的な自己目的化したアイロニーは、むしろ本来の自分の立場に対する説明としての側面が強すぎる。共同体内部のメンバーに対してだけ発せられるアイロニーゆえなのかもしれないけど、「私はここにいるんです! 私を見てください!」というのが透けて見えるなら、それはもうアイロニーではない。立っているはずの「別の立場」が逆に希薄になってきちゃって、高校デビューのヤンキー君が何か言ってるねみたいに見えちゃう。もうほとんど「ベタ」の境地で、「感動系」に接したときにも、有効だと思って大事に抱えてる「オレ達はわかってやってるんです」という免罪符が「別の立場」が希薄で、「えっ、何なんか泣いてんの?」とか思われてる、ということにすら気付きにくい。

もっとも、このようなアイロニーは2ちゃんねるのように共同体内部のメンバーにのみ発せられているわけではない。俺が正月あたりからずっと気になって書いていたテレビについての話で、俺は「管理されたわかりやすい相対主義が蔓延することによって、世人はシニカルな態度を装った規範意識を便利に使い回すようになり、おかげで善良な市民が気軽に悪ぶって生きていられるようになっているのが今だ。」と書いたんだけど、これはこの本でロマン主義的シニシズムとして語られていることそのものなのだ。正月には書かなかったが、波田陽区や青木さやかが流行るってどういうことなのか、マツケンサンバが流行っている状況って何なのか、そしてそいつらがテレビで2ちゃんねるに言及している意味とは、ってことを、俺は言ってたんだよね。この本ではわずかに「テレビはそれをすらテレビ的なシステムに組み込む」ということを言っていた(2個所ぐらいあった)けど、もうちょっと掘り下げていい話題だと思った。これは「テレビが2ちゃんねる化している」といえばキャッチーだし話が早いんだけど、そういうキャッチーな言い方でまとめてはいけないしね。あはは。

あと、2ちゃんねるというメディアに固有の現象について驚くほど語っていない。2ちゃんねるはいきなり他者とのコミュニケーションの場として登場し、インターネット掲示板が双方向的なメディアであるというのはどういうことなのか、とか、モニタというテレビのブラウン管に似たものから、活字に似たMSゴシックに乗って伝えられる「本当は単なるシロートの意見」が、私たちに与えるある種の錯覚について検証することなく説が進められている。2ちゃんねる的なコミュニケーションの行き着いた先において、自分のアイロニカルな判断の正しさが第三者との接続においてしか承認され得ないということを「アイロニカルであることが困難な状況」と作者は述べているんだけど、上記のような点を考えると、それはそんなに困難なことじゃなく、容易に形式主義的なアイロニズムに落ちていくはずだと俺は考える。

その他。作者は意図的に2ちゃんねるの「実況」的な掲示板の例を挙げすぎていると思う。「ニュース速報」「マスコミ」「実況」などの掲示板の住人が、80年代から連なるようなメディアに対するアイロニカルな視点を持っていたって、当然とは言わないまでも不思議じゃないじゃん。俺は2ちゃんねるに全然詳しくないけど、数年前からそういう構造を持っているのは一部の板で、専門知識色が高い板ほどそういう傾向を失っているような気がするんだけど。上記の3つの板が2ちゃんねるの代表ですか? 言いたいことは間違ってないと思うんだけど。社会学の方法論て難しいよなあ。あははは。

あと2ちゃんねるが「あやιいわーるど(こんな表記をする人はあやしいにはほとんどいないと思う)とあめぞうの正統な後継者」と述べているけど、えーと俺はそう言われても怒るような人じゃないし、そこに拘るわけじゃないけど、しかし、2ちゃんねるがあやしいやあめぞうの参加者に嫌われた理由はまさにアイロニカルな態度の取り方の相違だと俺は思うので、そこを作者的にはっきりさせておいた方が2ちゃんねるを際だたせたいこの本としては筋が通っていたかなと思う。「2ちゃんねるはあやしいわーるどやあめぞうとは微妙に異なり、大衆化したロマン主義的シニシズムをより推し進めさせた形で登場した」と書かれてあればいいのに。それなら、この本に書いてある、浅田彰がサラダ記念日について嘆いたのと好対照を成すことができるから。

まあこの本が「2ちゃんねるについて書いた本だ」というのは全く間違いで、この本は作者自身が自覚的なように戦後日本のメディア史をもとに「反省」を軸とした自意識のあり方をたどるものだ。しかし2ちゃんねるはその最後に現れる例の1つの典型として選ばれたに過ぎない(ということまでわざわざ書かねばならないほど読者というのは賢くなんかない)。が、しかし作者自身が2ちゃんねるに興味を持っているのは明らかだよなあ。つーか、それぞれの時代で、語りやすい典型だけを連ねて60年代〜00年代まで語るのは、社会学的なアプローチとしてはごくありふれてるはずなのに、なぜかちょっと辛い印象を持つのは何なんだろう。

俺は社会学に対して、多少無理があっても話として面白ければアリだなという読み方をする男なので、それでも十分に面白いところのある本だと思った。俺はそれでいいと思うのにさー、この人ずいぶんエクスキューズの多い人だよね。作者が「もちろん〜というわけではないが」「当然のことながら〜というのもあるが」みたいな書き方をするポイントのほとんどは言い訳だったよ。で、最後にあとがきを読むとコレもほとんど言い訳なのね。なんでこんなに右顧左眄みたいなことをしてるんだろう。ここまでエクスキューズが多いから、辛い印象をかえってぬぐえなかった気はするなあ。

あと、「処方箋を示せない」という作者の弁は、以前俺がたまたまこの人が「なぜ人を殺してはいけないのか、という問いに社会学が答えない」という苛立ちを示していたときに「社会学はそんなもん答えなくてもいいよ」とどっかに書いた(ここだったかも)のに通ずるものがあって面白い。「示さなきゃ!」という気持ちがこの人にはあるのね。その割に示せなかったということなのかな。まじめな人だ。だからこそ、「2ちゃんねるの人が書いたナンシー関についての文章、アイロニーが効いててちょっといいでしょ。だからいいよね」みたいなところで落としてあるのはどうかなー。わりと誠実に作ってある本なのに終章に近づくにつれてエクスキューズが多くなり、歯切れが悪くなっていき、最後の最後で「これもアリよね」で終わるのは見ていて辛い。

そういえば「2ちゃんねるの時代は終わった」ってのを見た2ちゃんねるに対して特に思い入れのない俺の周りの人たちの反応(チャンコロの反応は普通に罵倒するか「客観的な視点」をうそぶくだけなのでどうでもいい、無視していいと思う)は、一様に「勝手に始まったことにして、勝手に終わらせてんのね」であった。きっと思想の人たちは、2ちゃんねるの特異性みたいのにすごく興味があったのね。で、「感動」に持って行かれて「えー違うじゃーん」とか「2ちゃんねるは終わった!!!11ぬぬん」とか思ってるんだよ。うっかり分かりやすい方に行っちゃってるんだよ。インターネットのゲンロンとは、とか考えちゃうのよ。

今年の頭に人と、「今年インターネットで2ちゃんねるが流行る」という話をちょっとしたんだよ。俺はシニシズムがさらに大衆化した結果そうなると思ったんで「もうあれですよ、大手小町のように流行ります!」と言ったんだけど、相手は「インターネットが世界を変えるとか言ってる奴が2ちゃんねるからブログに行ったから、2ちゃんねるはネタでくだらなく遊ぶ奴だけが残って、結果として流行ると思う」と言った。どっちもこの本で語ったようなことを言っているんだが、この作者はひょっとしたら「だからこれからはブログの時代だ」みたいなことを言っちゃう人かもしれないなーと思ったら、今リンク先として参照したURLに「北田暁大」って書いてあってちょっとうひゃあと思った。ゴメンこれ読んでないっつーかあんまり面白そうじゃ、ない、なあ。しかし、さすが自分のコミュニティを「こうあるべき」とか語るコミュニティこと「はてな」が巻頭に来ているなあこの本。つまりそういうことなのだ!! でも西島君が表紙を描いてるのであとで立ち読みしよう(立ち読みかよ)。あーあとばるぼらさんの本、出るらしいぞ!!

 

 

外部の情報 #88

アメリカのアニメなんか全然詳しくないがKAPPA MIKEYという日本のアニメのパロディがすごいひどいらしいのでトレイラーを見てみようと思ったが消されてる。こんな感じらしいんだけど。えばんげり音!天地無用!のキャラも出てるみたい。で、それ探しててこれを見たんだけど、こっちは普通にすごそうだね。こんなのテレビシリーズでやるんだアメリカ。アメリカ製じゃない可能性もあるけどよく分かんなかった。

 

 

ありふれた事件 #132

歯医者に行ったら受付に中ノ森BANDのサイン入りポラが置いてあった。微妙すぎる……。曲の動画なども見れますがしかし、こういう今さら感ただようアイドルをデビューさせるときはもうちょい仕掛けがないと私たちはイヤですよと思った。

嘘です、やらせてくれれば何でもいいよ。ドラムの人でもいいです。俺がドラムな。

俺がネットの外で言ったこととかを他の人に微妙に話して、ホラほかの人が知らないこの人の「プライベートな」ことを知ってますみたいなことをされるのが最高にキライだ。で、そいつは俺自身にはチラチラ見ながらいっさい話しかけてこないの。気持ち悪い。何こいつ。今の俺はそういう変なウジウジした人間を許容する感性が全くなくなってしまった。お前が何なのか言えとこれだけ言っているのに。お前自身を常に差し置きながら「あなたを知っています」ということだけを見え隠れさせる薄ッ気味悪さを早く自覚した方がいい。そのままで女子にモテモテになれる可能性はゼロだ。だいたい、お前がそんなことやってる間に俺は自分丸出しでみんなと渋谷で飲んでるよ。んなもんは「プライベート」でも何でもない。俺はネットだろうがどこだろうが常にマジメなんだよ!!

Hayakiさんが危険的じょうきょうに!! 奇しくも屋根裏さんが書いているけど、俺もこのあとに「かゆい うま」とか書くような人間なので申し訳なくなる。「大丈夫ですか?」と思っていることは確かなんだけどなあ。届け私のハート!

はてな かゆ うまって なに?

 

 

外部の情報 #87

日記ちょうのコメント欄に書こうと思ったけど最近は気軽に書き散らすと不思議な人たちがそういう話にビビッと反応しておもしろまじめトークを展開したりしたりするようなので、当然だが俺はクドクドとまじめトークを楽しみたい人じゃないのでここに書くが、えー、商品内容が今ひとつつかめてないのかもしれないけど、しかしつかめたとしても、だな、何だかワガママ言ってるように感じるなあ。そういう契約を自分で結んでんのに文句も言っていいんだ? いや、いいけどさ、もちろん。そりゃいいだろうよ。しかしなんつうか、だいすきなアーティストかわいそう! 会社ってひどいです! って感じなんですか。ほー。もしくは悪いのは資本主義とかですか。とか? 法律とか? 竹槍って感じで。「お上が」とか。なんでもいいし、しらねーけど。

松永さんとこを見てみたんだけど、「被害」と書かれてますけどね、それは、うまい、いや強すぎる、と思う。わはははは。よくみんなさー著作権の話とかCCCDの話みたいのとかもするけどさー、心情的な問題をしたいのか社会的制度の話をしたいのか、わからんことが多いんだよホラ俺キチガイだからさー。いちおうみんな制度好きっこのはずだから、ここはきっちり「ダメじゃん」とゆうのかとおもったけど、言わなかったりもするので、俺はそういうのをみると、意地悪なんでニヒヒヒヒヒとか笑う。

バカ向けかいせつ:俺はアーティストが望んでないCDなんか出ない方がいいと思っている。

 

 

外部の情報 #86

風邪ひいた。ノドがいたい。身体が痛い。熱っぽい。軽い吐き気。気分まで悲しくなってくる。ちょうせつない。春はせつない! 西島君の本の感想とか読んだマンガの話とかを書きたいのに。熱い。風邪、また少しあたたかかかくなったね! そういう意味じゃないな。微熱少年なんだよ。違うよ。

だるいのでどうでもいいことを書いておく。前からどこかに書こうと思っていたことを書こう。どっかに書いたかもしれないことを書こう。gooの映画ページは「結末まで含めたあらすじの全文」が読めるところが素晴らしい。大変面白い、いいページだと思う。最も素晴らしいのは、このあらすじを読んでも映画の内容が全く分からないことの方が多いからだ。さらに、なるべく筋のハッキリしない映画を検索した方が面白い。
台風クラブ
水のないプール
自殺サークル

でもうまく選ばないとあんまり面白くない。
ことの次第

あと、団鬼六作品などの異常に詳細なあらすじが載っているのもいい。至福の境地に酔い痴れているような村木の顔に、名美の黄金水はとめどなくほとばしった!!とかアナルめがけてライフルの引き金を引いた!とか。SMの内容は詳しいのに、物語はあってなきがごとしなところがいいなあ。なんか焼け死んでるし。

つーかなぜか邦画が多いな俺。海外の筋が分かりにくい映画って何だろうなあ。日本ウケが悪かったブレアウィッチとかもちゃんとあるよ!あとマルホランド・ドライブとかもごくあっさりと解説されている。そのほかホラー・パニック関係はくだらなくていいな。しかしヒッチコックの「情婦」が登録されていないのは非常に残念だ。わはははは

 

 

ありふれた事件 #131

買い物に行こうと思ったら雨だった。ガマンしてバイクで出る。途中でトイレに行きたくなったのでたまたま世田谷図書館があったのでトイレがきれいそうだと思って入る。トイレは不潔ではないがきれいではなかったため大いに不快になる。ついでに本を読んでいく。トイレを出てすぐのところに雑誌のコーナーがあって「サイゾー」が置いてあったので久々に読む。本当はほかの本が読みたかったのだがみんななかった。サイゾーは一生懸命作ってるなあ。こんなにいろんなページ作ったら大変そうだなあ。でもどの記事を読んでも「今の社会はコレコレコレに分類できまして、で、ちなみに僕はみんなバカだと思うんだよね、ウフフ」というイヤーな感じの相対主義っての? ホラこないだテレビの話で書いたやつだよアレそういう感じで強引に優越感を感じようって姿勢ばっかりなのね。じゃあお前はダレなんだよっていう。それでいて「間違いない」とかのあの創価学会だかの人とかが連載してるんじゃん? そういう態度だとそういう突っ込まれ方しても仕方なくなるわけじゃないですか。不毛な部分に落ち込んでると気付いてないわけで。んで分類してみせた部分まで「しょせん嘘っぱちじゃんこんなの。ナニいい気になってるわけ?」みたいな気分になるよ。あと、「ヒット」とかの特集号がきっとウケてるんだろうけど、似たり寄ったりすぎだなあと巻末のバックナンバーのページを見て思った。

そのあと、前にちらっと読んだ太田出版の「イデオンという伝説」の続きを読もうとしたんだけど、なかった。つーかこの本は校正がデタラメで非常にひどい感じなのでたいへん笑える。あーそういえばこのシリーズ(オタク学叢書)の最新刊「オタクの遺伝子」はカンタン系さんに書いてあった(今見たらコルタサルのことが書いてあった。俺が好きな短編は「黄色い花」かな。「海に投げ込まれた瓶」に入ってるのだとやっぱ「夜の学校」がいいな)のを見てわりと面白そうなので読もうとか思っていたのだった。 それはともかく、ないので、スーザン・J・ネイピアの「現代日本のアニメ」があったんで、代わりに拾い読みする。しかしこの図書館はこのへんの蔵書が貧弱だ。

で、まあ読んで、フェミニズムの人はどんな話でもフェミニズムにするからウザいなあとか思う。「らんま1/2」の考察はわりといい感じだったんだけど、その他は日本のアニメにおけるジェンダーに対する遅れた感覚とかって、何かいかにもって感じでどうでもいいものを読んだという気にしかならないんであるが、これはもうあれだ、女性が前時代的な立場に押し込められている!! とか発見すると指摘せずにはいられないんだろうなあ。毎回同じパターンだと飽きるといい加減誰かが言ってあげるべきだと思った。

この本で一番面白かった部分は、「ハニーフラッシュ」の「フラッシュ」という言葉は英語圏だと「性器を(あけすけに)露出する」という意味になりうるということで、なかなかに隠喩的だということであった。永井豪ちゃん先生はそんなこと全然考えてなかろうしおもしれえなあと思った。いやあそれ誰かに言いたかったんだ。ここに書いたからもういいや。アハハ。

 

 

ありふれた事件 #130

仕事で疲れた身体は回復したが、昨日西島君と山田さんと明大前で沖縄料理を食って家帰ってきて寝て起きたら右肩が異常に痛くなっていた。何? あと突然腹痛。何なんだ。ダブルユーの新しいアルバムがいい。そういえばここ数日疲れてあまりキーボードを叩いていなかったら見事に指がなまった。渋谷の「はやし」というラーメン屋はやたら混んでるけど、さほどうまくない。会社のパソコンが遅すぎてイライラしてきた。

 

 

 

 

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