水抜きゼリー

  

 

 

 

 

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水抜きゼリー #9

夏休み最後の日、僕はベッドにだらしなくうつぶせてたまたま付けたテレビが流している笑点に耳を傾けていた。そのあと交通事故のニュースだった。たいしたことは何も起こっていなかった。笑点は奥深いと思った。僕は気付いた。穿った目をしているように、して、いるのが、ここ最近では最もラクなのだと。それで、僕はこんなところから出るには、自分でなんとかしなきゃと思った。

 

 

水抜きゼリー #8

8/16。

朝からDVD-Rをいじっていた。暑そうだし、一歩も外に出る気にならなかったが、気分転換に朝の11時ごろコンビニまで歩いた。帰り道で少し坂を上りながら、ゆったりと時間が流れているのを感じた。たしかに暑かったが、耐えられない気候ではなかった。僕は無職だった夏を思い出した。

あのころはエアコンがなかった。外も午前中からものすごい暑さのため、往来に出ている人はまばらなほどだった。僕は暑さを我慢して、家の前の幹線道路を隔てて向かいにある郊外型の大きな本屋に立ち読みに行った。本屋は涼しいのだ。幹線道路にも車は少なく、遠くに陽炎が立っているのが見えた。空がすごく高くて、見上げると目眩がする。僕は空を見上げたままで横断歩道を渡り始めた。蝉の声以外はシャクに障るほど静かで、僕が焼けたアスファルトをスニーカーで歩く音がした。

あの時のことは何度も思い出す。今でも思い出す。あれからずいぶん時間が経って、僕は全然違う場所に平気で住んでいる。なんて場所というものに執着のない人間なのだろう。僕はどこにでも住むことができて、いつまでもそこの人間にならない。今住んでいるような場所も、何の未練もなく忘れてしまったりするのだろうか。それを少しさみしいことだと思ったりはするが、「そういうことはさみしいことだ」と誰かに教えられただけなのかもしれない。本当の僕がそういうことにさみしさを感じているかは、誰にもわからない。どちらにせよ、僕は、感情に欠陥がある。

それに、あの夏に比べると、今年はもうすっかり涼しくなってしまった。

夜からまたしゅんちが来る。僕は今夜も「新現実」を読みながら寝た。新海誠のマンガは全然面白くなかった。僕はこの人は本当に好きではない。西島くんのマンガはとてもかっちょよかった。佐藤友哉の小説は本当にどうしようもなかった。この小説は急に一昨日読んだ同人誌のことを思い出した。こんなものでいいのか、世の中。本当にこんなものを仕事として書いて、そしてそれにお金を払っている奴がいるのか。こんなものでよければウェブに山ほどある個人サイトのくだらん内省的な日記でも十分だ。そういうのを貼り付けておけばいい。違いが僕にはわからない。そう思った。

 

 

水抜きゼリー #7

8/15。

ようやく動けるようになったのでミカと渋谷に出かける。僕はサンダルが欲しかったのだが、その前にミカが欲しいカバンを見ようということになっていろいろ見る。そのうちに実にくだらないことでケンカになり、あほらしいので帰ると言ってミカと別れる。

しばらくしてからミカと仲直りし、食事にする。鰻を食べたかったのに、ミカがでびラーメンに吸い込まれて行ってしまう。でびがいた。ミカはでびを凝視しながらラーメンを食っていた。少しは食べ物も見ればいいのにと思った。

サンダルは結局買えなかった。あきらめて家に帰る。夜からしゅんちが来る。しゅんちは予定より遅くなってやってきた。夕方から少し雨も降っていたので心配した。

しゅんちと一緒に、YO*CのワープハウスのCDを聴きながら少し話す。やがて寝ることにした。しゅんちは寝床で「パイナップルアーミー」を読んでいた。僕はようやく「新現実」を読み始めた。

東浩紀はとてもがんばっていた。レペゼンしていた。ウェブ上で彼についてなされる反論のほぼすべてが、オタクにありがちな「自分たちを担いで商売にする奴に対する根拠のない憎悪」でしかないと感じた。

それでいて、オタクの人々は、テレビなどでオタク文化が紹介されることに必要以上に敏感だ。そしてとてもうれしそうに「奴らはわかっていない」と言う。

たぶん、彼がオタクじゃなく、オタク的なあれこれを正確に述べることができないことも彼に対する悪感情に拍車をかけていると思う。だが、それは確かに些細な問題だ。彼はそんなものには耳を貸さないだろう。そんな場所にわざわざ降りてやる必要すらないのだ。彼はそんなのは議論の本質じゃないと思っているだろう。

だからこそ東浩紀が不幸なら、まさにそれだとおもった。オタクの側からはそういった悪感情しか受けられず、そして、彼がオタクの社会でも論壇などでも、彼の扱うモチーフについて、彼と同じ思想的タームを援用して会話し、彼をやりこめられる人間がいない、という点だと思った。それは彼がその分野において今のところ唯一無二であるということなので、ひょっとしたら不幸を感じてなどいないかもしれない。

彼は文句があるならここに上がってきてかかってこいよこのsuckerMCと言うだけでいい。誰も彼と議論する場所にもまだ上がれていない。それは別に彼を誉めているわけではないのだ。しかしある意味誉めている。つまり、彼はすごくずるいやり方であそこに上がった。彼は今のところ、絶対に負けない場所で仕事をする立場を得ている。だが、誰もいない場所であれをいつまでも続けるのが苦しいことだというのは誰にでもわかる。そこにはシーンなんてないから。もう少し何人か同じような年代で同じような人がいれば、彼はずっと幸福そうに見えるのに。

 

 

水抜きゼリー #6

8/14。

広島に行っていたミカが帰ってくるので駅まで迎えに行く。

その他の同人誌はパラパラとめくってみたが、ほとんど読まなかった。寄稿した本も、ちらっと確認しただけだった。どうして自分は、この本に文章を書くにあたって、誤字脱字を減らそうとしたり、文体を統一したりしようとしたのだろうかと考えながら読んだ。理由は簡単で、それは僕が人に見せたい文章を書く時に、それなりに心がけていることだからだ。そんなのは当たり前のことだから。しかし、僕が文章を書く時に自然に行っていることだったとしても、この「同人誌」に対して僕が精一杯それをやってみせて、どれだけの人が喜んでくれるというのだろうか、と考えた。

前の晩はDVD-Rをいじったりしていたので、ずいぶん夜更かししてしまった。多少急ぎながら駅へ向かう。ミカは「むさし」の「山賊おにぎり」を買ってきてくれた。広島でしか買えないので滅多に食べることができないが、ここのにぎりめしは本当に素晴らしくうまい。広島のことはよく知らないが、広島の人はいつでも「むさし」が食べられてうらやましいと思う。

新横浜近くの大戸屋でミカと食事する。大戸屋は初めてだった。ちょっと混んでいた。広島は雑誌の付録が全部レジの横に置いてあって、タダで持って帰っていい、などの話を聞いて驚く。また、広島限定で「長靴のブルース」という曲が流行っていると聞かされたが、あとでGoogleで調べてみると一件もヒットしなかった。タイトル間違いだろうか。

帰る途中でブックオフに寄った。古くさいテクノを何枚か買った。その晩はまたDVD-Rをいじっていた。毎日何かしてるな、と思った。夏休みになってから、何もしていない日は昨日ぐらいのものだ。それ以外の日は毎日必ず何か予定がある。スケジュールを確認してみて、この後夏休みが終わるまでずっと何か予定があるのだということを知った。

 

 

水抜きゼリー #5

8/13。

目覚めると身体はまだ重かった。だが僕は夏休みだ。本当によかった、と思いながらそのままじっとしていた。時間はたっぷりあるのだ。

外はとても明るい。クーラーのおかげで僕は、どの程度暑いのか把握しないままに部屋の中でごろごろしていた。

一昨日買った同人誌を読んでみることにした。東大のひとが書いた、「萌えとは何か」ということについて主に社会学的立場から語られた(と思われる)薄い冊子。わりと面白そうである。最初のページには、この文章があくまで筆者の個人的理由によってかかれているということが説明されていた。僕はちょっとうれしくなった。こういうふうに堂々と個人的なものである、と作者が語っているのは、いかにも「同人誌を読んでいる」気分にさせてくれた。いいんじゃないだろうか。同人誌の利点って、そこなんだろう。そう思って、先へ読みすすめた。

次に、作者の個人的な理由から書かれているので、批判をするなら勝手にしてかまわないが、作者も気にしないということが書いてあった。ちょっとしつこい気味はあるが、それはそれで別にいいことだろう、と思った。次のページには東浩紀に対する悪口が書いてあった。あんな人間をオタクの界隈で支持している人間はいないし、SFなどの集まりでしばしば愚か者としてやり玉にあがる、とかなんとか。僕はなんだか気持ちが悪くなってきた。同人誌って、こんなものか。

僕は「あなたの好き勝手に書いていい」というものは、インターネットでも、うんざりするほど見ている。そして「好き勝手」の果てのゴミは、やっぱりただのゴミだと思っている。同人誌というものが「好きに書けること」に対しての利点を考えて、恣意的な文章を書くだけのものだとしたら、僕はつまらないと思う。読者に対して何かを見せたいとか、自分の考えを表明したいとか、なんでもいいが、自分がそれを書く理由を表明せずに、または表明する人を否定しながら、「好き勝手に書いている」ということを、受け手を想定しないということの方便に使うようなやり方は、まさにアマチュア的だと思う。僕も、それでもいいとは思う。しかし、それに隠れながら、正当性は自分たちにあるんだなんて言うのは間違っていると思う。

結局僕がその同人誌に見たものは、メインストリームでレペゼンしメイクマネーを行っている人たちを正面切ってステップできないだけのサッカMCが、奴らはセルアウトしている、自分たちこそがアンダーグラウンドだとうそぶくことで全部をチャラにしようとしているようなものだった。それは偽りだ。悪いけど、本物のアンダーグラウンドは、ウータン・クランは、シュガーヒル・ギャングは、shing02は、そんなことはしない。

相手の批判を封じ込めるためだけに「これは個人的な内容だから」「同人だから」「好きに書いているだけだから」とか言うことが、最近特にカンにさわるようになってきた。自分についてはそういうことを言う人は、逆に真剣にやっている人々に、たいていまともな批判を行わない。それもイライラするようになってきた。そういうことを言う人は、本当はいつまで経っても自分がそこから出ようとしないのをごまかしている人がとても多いように感じる。公の内容を持つ意志がない人が「これは個人的な内容だ」などと言って、レペゼンしている人を変な形で貶めようとしている。僕はそんなところにいつまでもいる気はないんだ。

僕は「新現実」のことを思い出した。あの本について書かれたウェブの批判は、ろくなものがなかった。いったいどういう種類のやっかみか知らないが、まともなものがなかった。まともな批判だってありえたのに、誰も東浩紀と同じ土俵でものが書けていない。つまり東浩紀の方がずっとレペゼンしているんだろうと思った。あの人の言っていることが厳密な意味において間違っていたとしても、あの人はお金を取って、外部へ外部へと自分を広げて行っている。そして、他人については意に介していない。意に介していないというよりも、書き手の意に介すような言説が出ていない。俺にも「新現実」はつまらないところがあったが、メジャーな流通に乗って、自分たちの主題を、一般の、公のものとして扱っているので、それはエライのである。それは保身のために言い訳ばっかりしながら「好き勝手に」という隠れ蓑のもとにへべれけな文章を書いている同人誌やウェブなんかに比べれて遙かに優れている。強いものがエライのだ。ニーチェだってわかってくれると思う。

だから、sawadaさんとこの同人誌はよくできていた。同人誌自体を勝手に越えてしまうような目算で作ってあった。あれを作った人たちは誰も「同人誌だから好き勝手に」ということを、自分がレペゼンしないことをごまかすために言ったりしないどころか、めちゃレペゼンしている。紙も立派だったし。だがその時、もうひとつ別のことを思った。僕自身は表現においてどうなのか。どんな場所で何をしたいのか。

そんなことをしているとすぐに夕方になってしまった。西日の中で洗濯機をまわした。緩慢な動作で物干しに衣服を吊していると、突然、雨の匂いがした。気づけば、あたりには急速に雨の気配が漂い始めていた。立木がざっと音を立てて鳴って、今年はまだ一度も味わったことのない、ひんやりしたものが空気の中を流れてきた。僕は急に悲しくなった。夏がもう終わってしまうと思ったのだ。なぜそう思ったのかわからないが、ああ、これで夏が終わるんだと突然確信した。

雨はすでに地面に滴りはじめていた。まだ8月13日だ。そんなに早く夏が終わってしまうわけはないだろう、だいたい何の根拠があるんだ、と自分で思ってみたが、どうしても納得することはできなかった。僕は、どんどんうるおいを取り戻していく世界を見ながら、自分はこれを望んでいたのだろうかとぼんやり考えた。僕がこの夏ずっと近づきたかったあの水が、今はまったく違う意味を持って空から降っていた。

 

 

水抜きゼリー #4

8/12。

昼過ぎに起きる。足が痛い。身体がくたくただ。それで昨日のコミケのことを思い出す。

何か生産的なことをしたくて、洗濯機を回して外に出る。そういえば今月はDVD-Rについて調べておかねばならないな。まだメディアも買っていない。とりあえず近所のTSUTAYAに行って映画を適当に借りる。「マグノリア」と「ケイゾク」にした。字幕のあるやつと、ないやつ。片面2層と、1層。ここのTSUTAYAにはロクなものがないので、見たいものを探すのに、すごく時間がかかる。

そのあと、商店街のほうまでぶらぶら歩いていって、本屋でジャンプを買う。突然思い立って、電車に乗って溝の口に行くことにする。着の身着のままというか寝起きのカッコで電車に乗り、ジャンプを読んだ。

ちょうどよかったのでDVD-Rメディアを買う。行こうと思っていたラーメン屋は金曜まで休みだった。しかたないのでみぞのくち野郎で食う。相変わらず食った後で喉が渇きすぎるラーメンだと思う。ラーメンを食べる以外、自分が何をしにここに来たか思い出せないので、帰ることにする。

帰り道で、突然思い立ってパチンコ屋に入ってみた。夏休みなのだから、普段しないことをしようと思ったのだ。普段しないことをするためにパチンコ屋に入る奴もどうかしているとは思う。

パチンコをやるのは2年以上ぶりぐらいだ。もともと僕は賭け事が嫌いで、ほとんどやらない。理由は負けるからだ。負けると損をする。金が減るのである。僕の考えでは、賭け事というのは勝つ確率の方が少ないからみんな熱狂するのである。これがもし勝つ確率の方が高いとしたら、そもそも賭け自体が成り立たないし、つまり賭け事というのはラクをして金を儲ける手段のように見えるが、トータル回数的に見れば必ず負けるはずなのであって、そういう中で儲け額が大きいタイミングにうまく勝つようにもっていくというのはすごくめんどくさく、努力の必要なものであり、ラクして金を儲けたければ賭け事なんかやらなければいいのである。あとはバクチをするというということ自体への楽しさがあるのだろうが、僕はケチなのでそういうものは味わったことがない。

そういうわけで2年以上ぶりにパチンコをした。これをやりたくてしかたがない人もいるのに、やることがないからといって自分はこれをやっているのか、と思った。

初心者に見られないよう、それなりに台を選んでいるフリをして歩き回ってから席に座った。しかし、やったことがないため、どういうふうに歩き回ったら台を選んでいるように見えるかがわからないのだ。本当は何も知らないのだ。とりあえず「この台は…!」という顔をして席に座ってから1000円札を入れて玉を出したら、隣の台にジャラジャラーと玉が出た。恥ずかしかった。たしか以前もこのトラップに引っかかったのだ。またやってしまった。これじゃどっから見ても初心者じゃないか。

1000円を使い果たす頃になって、突然ぴこぴこと音がしてスロットが回り始めた。これが回ってる間は玉を入れ続けた方がいいのだろうか。いけないのだろうか。謎だ。なんかあたったみたいで1回目、2回目とか表示が出ているが、玉がないじゃないか。困る。と思ってたらわけもわからず玉が増えだした。下のパクパクしてるところに入れればいいのだということにちょっと気づいた。そのうち玉を入れるバケツみたいのがいっぱいになってきてしまったのだが、これは店員が替えてくれるんじゃないのか。どうして来てくれないんだろう。溢れちゃうよ。BE IN LOVEですよ。もっとちょうだいもっとちょうだいですよ。

とかしばらくオロオロしていたら、そのうちチンジャラチンジャラいうのが終わったのでホッとした。ガッカリすべきだったのかもしれないがよくわからんので玉を持っていったら5000円ぐらいになった。あのバケツ一杯が5000円なのか。勉強になった。というか、やってみてわかったのは、特別に金が欲しいわけでもなく、パチンコが好きなわけでもないと、たとえ勝ったとしてもあんなものは面白くもなんともないということだ。お金を持ってまっすぐ出口の方に歩き出すと、急にパチンコ店全体を見渡せるように思えてきた。そして耳やかましいアナウンスや玉の音、タバコ臭い空気までがお盆の午後の風景にしてはひどく空々しく、嘘っぽいように感じられた。ここにいるおじさんやおばさんは、そんなことにはまるで気づかずに、よっしゃと叫んだりしている。僕は、コンビニで適当に食料を買って帰った。

前日買った同人誌を読もうかと思うが、まだ疲れていて読む気がしない。それに今なんとなく読む気がしないのだ。しかしそれは、コミケ自体の印象には関係ないはずだ、と思った。そんなことよりも身体がひどくだるい。ひょっとしたら、本を読みたくないのもそのせいなのかもしれない。暑いせいなのか、クーラーのせいなのか、疲れのせいなのか、睡眠の取り方がおかしいのか、はっきりとはわからない。ただ、ひたすらベッドの上でごろごろしたりうとうとしたりしながら、僕は汗をかいている。

 

 

水抜きゼリー #3

8/11。

寝たり起きたりしながらぼんやりしていた。11時半ごろ、やはりコミケに行くことにする。僕は夏には行ったことがなく、行った人々がみな「まあ、一度行った方がいいかもよ。俺は二度と行かないけど」と含みのある言い方をするので、気になっていたのだ。

で、行ったのだが、結論としては夏コミには二度と行かないことにした。

新橋からゆりかもめに乗る。フジテレビでも何かイベントをやっているし、水族館だか科学館だかもあるしで、夏休みの子供たちが乗った車内の混みかたは最悪だった。コミケに行く人々にも、年中夏休みみたいな連中が多数いたとは思う。

途中で4人がけの席が一席あいた。座ろうとしたら、そこに元から座っていた孫娘を連れたジジイババアが「あー広くなった」とか言いながら広がって座りやがった。僕はこういう恥知らずなジジイババアや、そういう大人に連れられてのほほんとしているガキが大嫌いである。以後はずっと立ったまま、どうやってこのジジイババアおよび孫娘の今日の思い出をイヤなものにしてやろうか考えながら揺られていた。結局、思いつかないまま目的の駅に着いた。

ホームに降りたとたん、うっすらと鼻に不快感を感じた。

臭い臭いとは言われていたので、マスクを持っていこうかと思ったほどだったのだが、思ったほど臭くなくてほっとした。しかし、このニオイが人々の身体から発せられていることを考えるとやりきれないものがあった。会場にはやや湿った空気が充満しており、不快感に拍車がかかった。

Yuumiさんともんきぃさんに会った。もんきぃさんと書いてはいけないらしいが、どういう区分になっているのかよく知らないので僕にとってはいつまでももんきぃさんである。二人とも木曜日に食事をしたので軽く挨拶だけをして、他のブースを見に行く。sawadaさんはとても張り切っていて疲れそうでかわいそうだった。僕はだるまちゃんTシャツを着ていたので、デミせんせいに新宿に売ってますよと言うと、ホントですか〜?嘘ついてませんか〜と疑われてしまった。ホントです。カラスのパン屋さんTシャツもかなり魅力的だ。欲しい。コンバースのウエポンハイ(何年か前のほうの復刻)を履いていたら、ふじもとさんが同じのを持っているとおっしゃった。ついでにバックパックも同じくkarrimorのを持っていらっしゃった。

infohandsさんは普通の人だった。ちゃんとした、普通の人であった。コミケの会場に来ている人間の中で、もっともまっとうな、すなわちあそこではそうであるべき顔をしてぼけっと座っていた。infohandsさんという人は、面白いことが好きなだけなのに、ただ面白いからやってるだけのことにいちいち変なつっこまれ方をしたり、普段面白いことをやっているからという理由で他人に猿回しのサルのように引っ張り回されたりすることを、うんざりしたりあきらめたり無視したりし続けているような人だった。それで、本当はいい加減なのに、頭がいいせいで他人に対しては細やかに誠実に対応しなければとがんばっていた。この人はもうずっとこういう人なのだろうか。それとももうちょっと年を取ったら、開き直って別のどこかに方向づけられていくのだろうか。どうなるにせよ。

そういえば僕も言われたことがある。いや、infohandsさんが同じことを言われたり思ったりしているかは完全に知らないしどうでもいい。僕が前にサイトをやっていた時とかは、飲み会の席とかで、ちょっとこっちに来いとか言われたりして、行ってもなにがどうってわけじゃなかったりすることが多かった。そういう人たちはいつも薄ら笑いを浮かべて、僕が今や面白いことを言うのではないかと待ちかまえている。だが僕は面白いことが好きなだけで、僕が面白いわけではないのだ。面白いことの媒体として僕を使うこともあるが、僕自身が面白い人間なわけではないのだ。だからそういう動物園的な見られ方をするとすごく疲れる。こういうの、すきでしょう、おもしろいですよねえあはは、あはははははあ、とか、やいやい話しかけて来て、僕が何か面白いことを言ってくれるのを待っている人とかもいる。昔、僕はそういう人たちを最大限喜ばせてあげようとして、くたくたになって後で鬱屈していたが、今の僕はいつも話したいと思ったことしか話さないので、たまにそういう手合いが来ると、僕は面白かったり面白くなかったりすることを言う。普通の人だ。それがマジレスというものだ。僕は普通になりたい。

会場では原始進化さんに会った。一緒にコスプレを見物に行った。人の列は延々と続いており、交通整理している係員がクソ生意気で、殺してやりたかった。どれみの水筒を持って楽しく業務をこなしていらっしゃる彼らの、座るな立ち止まるなエスカレーターを歩くなとかいう言葉の調子がそもそもカンに障るのだ。もっと他に言いようはあると思うのだが、連中の言い様を聞いていると非常にエラそう、というよりはカンに障る。彼らがオタクであることにこれは関係があるのだろうか。謎だ。一番ハラが立ったのは、「袋小路になった通路の一番はじの扉が一方通行で、そこから外には出られない」という場所でのことだ。誰もがそれを知らずに袋小路の一番奥まで歩いていった。というか、人の列がそっちに向かって続いていたという方が正しい。で、一番奥の扉の所に女がいて、「ここから外には出られません。戻ってください」とか、訪れる人に配給よろしく順番に告げているのだ。なんだこの女。死ねよ。通れないならこの人の列がこっちに流れる前に、通路に入ってこようとする段階で止めてくれよ。何が出られませんだこの馬鹿。テメエらがマトモに会場整理できないから人がとぼとぼ歩いて行き止まりに来るハメになっているのに、こっちが悪いみたいな言い方してんじゃねえよこの腐れカンジダまんこが。

さらにムカついたことには、この仕打ちを受けたお客さんたちはみんなおとなしくUターンして帰っていくことだ。みんな羊のようにおとなしい。誰も文句を言ったりはしない。ただ、黙って戻っていく。僕一人だけが「おかしいわ、こんなのおかしいだろ」とか騒ぎながら歩いていた。カラーコーンを蹴り飛ばしてやった。汗がふき出した。

僕はわかった。こんなすし詰めの状態でも誰も文句を言わないのだ。だがしかしここでは、別に係員が偉いわけでもなく、運営者が偉いわけでもなく、ブースに出展している人が偉いわけでもないのだ。もちろん来場者が偉いわけでもない。ここでは人間なんて等しく豚以下なのだ。体臭なんて気にならないわけである。おそらく、売られている同人誌に載せられたコミックのキャラクターがもっとも偉いのだろう。偉いというか、宗教的価値があるのかもしれない。「萌え」ということをそのように理解して喜々としていっそう自分をそう振る舞わせている人すらいるではないか。あのケミカルウォッシュのジーンズを履きいつ洗ったのかわからないような長髪でアニメのTシャツを着てペイズリー模様のバンダナの丸々と肥えた豚共は、そういえば変な宗教にハマってる若者にも似てるな。自分に気を配ってないあたりで。

というよりも、近年ではそういう典型的なオタクの姿をパロディ化したりして笑いを誘うように表現するアニメやマンガが非常によく見受けられるようになったが、あれはシャレになっていないと思う。だって、ホントにそういう人ばっかりいるんだもん。みんながみんな自分だけは違うと思いながらああいうものを読んで笑っているわけだが(あのようなパロディの笑うためのポイントはそこにある)、だがしかし実際にかなりの割合でそういう人ばっかということは、自分のことを外部把握的に見られてないのではないだろうか。見れてるけどそれでいいと思っていたり、自分を外部的に把握するなんてこと自体をどうでもいいと思っているならまだわかるのだが、だがしかし、それなら彼らは笑えないはずである。ちゃんぴおんの読者ページが単行本になるという話を思い出した。ブロッコリー(コゲどんぼ)はでじこに「お前ら全員とっとと保存用とか観賞用とか貸し出し用とか買いまくれや」みたいなことを(しかも、この言い方がほとんど意訳ではないレベルで)言わせていたが、言われた人々はたぶん自分たちが何を言われているかも、気づかないのだろう。そしてひとしきり笑って、本当に数冊買ったりするのかもしれない。ああいうものを笑いながら、自分がその典型であり、メーカーに馬鹿にされ、金を巻き上げられながら生きているのだ。人をなんだと思っているのかと憤りを感じていい話だが、彼らは豚なのだから仕方がない。列に従って歩いていればいいや。

会場ではradicalさんに会えなくて残念だった。simpleさんやJ-oさんに会った。三才ブックスの方が何人かいらしていた。名刺をいただいた。屋根裏さんもいた。さらしるさんにも会った。せっかくだから何かごはんでもという話になって、浜松町に移動する。TECHさんが浜松町にいるらしい。

帰りはフェリーに乗った。乗るまでほとんど無限のような時間を待たされた。太陽がじりじりと暑い。僕は肌が弱く、日にあたりすぎると皮膚の柔らかいところに湿疹というか水ぶくれが大量にできてしまうのだ。すでにあちこちかゆくなりはじめていた。海を走る船が見えるのに、ちっとも海にいる気持ちはしなかった。向こうにある水はあんなに遠い。列の人々は高い壁に挟まれながらそれを見て、脱水したゼリーみたいに精気がなかった。 それでも風だけは建物の中にいるよりもずっとよかった。

居酒屋に着いてみるとTECHさんと共に10人くらいのオタクの人たちがいた。誰だかわからないのでオタクの人たちとしか書きようがない。テーブルはすっかり大所帯になった。最初は僕は原始進化さんと歩いていただけなのに、どうしてこんなことになったのかさっぱりである。というか、誰が誰なのか全然わからなかった。誰か仕切ったりしないんですかと誰かが聞いたが、誰も仕切ったりはしなかったし、紹介もされなかったのでよくわからない。別に仕切るムードが好きなわけではなく、どっちかというと嫌いなのだが、しかし、誰だかわからない人たちと全く会話をしないで同じ席についているというのは面白いことではなかった。テーブルの向こう半分のオタクの人たちは、今日デジカメで撮影したコスプレ画像をノートPCに転送して、パンチラだとかブルマなおしてるとかそういう話題ごとにノートパソコンを高らかに掲げてキャーとかワーとかキターとか大騒ぎしていた。僕はチャンコロハッケソとか思った。

オタクの人たちはものすごく元気だった。僕はくたくたに疲れていて、あの場所に朝からいたにもかかわらず、ここへきてなお騒ぐことができるというのはすごいと感心した。コミケってオタクの人たちにとっては本当にお祭りなのだなあと思った。オタクじゃなくても、好きなミュージシャンのライブやレイブイベントとかで、全然疲れを感じず、うれしそうに踊り続けている人とかがいるが、あんな感じなのかなと思った。僕は身体を犠牲にしてまでそこまで猛烈に熱狂できたモノがないので自分の経験に置き換えてはみることはできなかったが。斎藤さんに「いやホント斎藤さんはお疲れさまですねえ」と言ったら「いやいやお疲れさまですよねえ」とおっしゃったのが面白かった。J-oさんが途中から抜けていたため、斎藤さんは最後までJ-oさんがどうなったか気にしていた。

いや、身体を犠牲にしたことがあるものもあった。今おもいだした。インターネットだ。次の日が早いのにテレホじゅう起きていたりとか。ああいうものか。あれはでも熱狂という感じじゃあないな。

帰りの電車はうまい具合に乗り継ぎが楽で助かった。途中まで屋根裏さんと一緒だった。屋根裏さんはコミケにショックを受けてぼんやりしながらブツブツ言っていた。

家について、すぐに寝ることにした。体が臭いような気がして気持ちが悪かったが、これは自分の汗で臭いのかもしれない、今日はいっぱい汗をかいたから、と思った。

 

 

水抜きゼリー #2

8/10。

とても疲れていて、ずいぶん寝てしまった。待ち合わせに遅れそうになった。疲れた疲れたとずっと言っていたらミカが怒った。ケンカになった。そもそもミカは今日のびっくりパーティーの主催であって、朝からそのことで気が気ではないのだ。朝からというか、これのために前日の晩寝られなかったとも言っていた。とてもよく晴れていたので、僕たちはさらに苛立った。

吉祥寺に着いて時間までにdropに間に合うと、ミカはもう機嫌が回復していた。というよりは今やそれどころではなく、しゅんちをどう迎え入れるかを考えてフラフラフラフラしていた。ケンサクくんはもう来ていた。あとで僕はケンサクくんにメールの返事を出し忘れたことを思い出したが、謝ることができなかった。彼は最近は忙しいの? とか、そういうことを言った。僕はうーん今はヒマだよ、夏休みだからねと言った。原稿はどのくらい書いているかと聞かれたので、答えた。ケンサクくんはすごいね月産そのくらい書けるならもう少しがんばればそれだけで生活できそうだよね? と言った。僕はそうかもねと答えた。ケンサクくんは「どんな仕事でもやればね。ホントになんでもやればね」と言った。僕はそうかもねと笑って答えた。ケンサクくんは偉いな、大人だなと思った。しゅんちは意地でも自分は子供でいてみせるというような人だ。二人は幼稚園のころからの友達なのだ。

浅見くんが来た。遅れそうになったと言いながら一番に来た。ラーメン屋の位置がまだわからないそうだ。そのあとしばらくしてゆっきーも来た。今日は知り合いが全然いないと言っていた。心細そうだった。大勢がいる席でそういう心細さがある時、ミカはあまり頼りにならないと思う。なぜなら、ミカはいつの間にか話題の中心になってみんなと社交してしまうようにできているからだ。それは半分はミカの責任だが、半分はそうではない。ともかくその時、ゆっきーが知り合いが少ないよとミカに言ってもムダだったし、そもそも今やミカはそれどころではなかった。

ゆっきーはしゅんちへのプレゼントとして「新現実」とかわいいTシャツを持ってきていた。新現実に西島さんが描いたマンガがとてもいいのでぜひ読んでくれと言われて、手渡された。表紙に新海誠がどうのこうのと書いてあったので、僕は自分は新海誠って好きじゃない、何がいいのかわからないと言った。ゆっきーもこの本に載っているマンガをあまり好きじゃないようだったので、僕はああ、新海誠って嫌いでもいいんだよねつーか当たり前じゃんと思った。

西島さんのマンガはとても素敵な話だった。ちょうどいいタイミングでいいものを読んだと思った。僕は彼に会いに行きたいのだ。まだ彼と話していないことがたくさんあるような気がするし、何も話さなくてもいいとも思う。彼が僕をどう思ったかは知らないが、僕は彼はスピリチュアルで天才的だし仕事に手を抜かず容赦なくレペゼンしまくるヒプホパーなので大好きだ。だから僕は遊びに行きたいよと一生懸命ゆっきーに言った。僕は普段、誰かの家にぜひ行きたいなんて、絶対言わない。

「新現実」自体については、なんか同人誌みたいな本だねとその時は思った。が。

Dieくんはとても早くから来ていて、ブースのあたりをぶらぶらしていた。やがてNOW!くんも来たし、じゅんさんも来たし、ちょっとずつ、人が増えていった。いよいよしゅんちが来ることになった時、ミカはみんなに隠れなさいと言ってみたり前に出ろと言ったりした。しゅんちはとても驚いて、そして照れていた。しゅんちをだまして連れてきたやすえはさすがに少し疲れた様子だった。30人ぐらい人がいて、みんなしゅんちの知り合いだった。「けっこう友達がいるんだね」と、僕がこのパーティーでしゅんちが思えばいいと思ったことをしゅんちは言った。とてもうれしかった。

あとでDieくんとNOW!くんが回しだしたので、僕はずっと踊っていた。しゅんちは野球をやるつもりで来たはずだったと言って、グローブを手にはめていた。ゆっきーからもらったTシャツを着ていた。

すべて終わって、僕はくたくたになっていた。とてもいいパーティーだったが、とにかく早く帰って寝たかった。しかしミカがお茶が飲みたいと言い、なぜか北の家族に入る。しゅんちはびっくりイベントの余韻を味わう今日の主役であった。ゆきえさんがインカレであったことが判明したが、みんなインカレという言葉の意味について一瞬考えないと思い出せなかった。

帰りの電車はくたくただった。しゅんちを家に泊めてあげようと思っていたが、できなかった。家に帰って風呂に入り、寝たり起きたりを繰り返した。体調は相変わらず妙だった。部屋が蒸し暑くて、ミカとプールにでも行きたいなあと思った。僕は毎年、プールや海は成り行きでしか行くことにならない。僕にとって夏は、とりわけ行き当たりばったりに過ごすことが多い季節なのだ。そして、今年の僕は水際と縁がないのだった。

 

 

水抜きゼリー #1

夏休みにはいろいろなことが起こった。

8/9。

仕事が終わってとっとと家に帰る。体調があまり優れなかった。きっと暑いせいだ。明日から夏休みで本当によかったという感じ。22時半ごろ会社から電話があってルータがおかしいとか言われる。電話は何度かかかってきて、2回ほど出てやったが、それに甘えてしつこく何度もかけてきた。そもそも僕の知ったことではないので以後は全部無視することにする。ひどく疲れていて、いくらでも寝れるような気がする。夏休みの目的は体調を戻すことだなと思う。明日はしゅんちの誕生日でびっくりパーティなのだ。しゅんちがどんな顔をするのか僕には全然わからない。

しゅんちは負けず嫌いだ。彼は負けないために努力するだけの強靱な精神力を持っている。道理で彼はピッチャーである。あんな場所に一人で立って足が震えたりするのに、筋肉を躍動させたりうまく打ち取ったりするのだ。投げる立場はいつも自分から仕掛けなければならないのだ。ちょっとどうかしていると思う。

彼は誰かが「これはいいよ」と言ったものを手に入れたりできる。何でもがんばって見に行ったりする。100点を取るのが一番偉いよと言われたら、100点を取ってみせる。しかし、かつて僕や山口くんも100点を取ってみせたのだが、それは本当に取ってみせるためだけにとってみせたものだった。僕らは復讐のためだけにそういうことをした。そして即座にそれを捨ててみせる習わしだった。そうやって、周りの人々が悲鳴を上げるのを見て笑った。そこがしゅんちとは違うのではないかと僕は思う。僕や山口くんが何かを手に入れて自分を証明するために行う努力は、いつも呪いの言葉を吐きながら行われた。そしておそるべきことに僕や山口くんは今でもそれをやっているが、幸か不幸か二人とも、絶対に死んではいけないし、しくじってもいけないという条件付きの人間になった。

しゅんちはみんなが口にしか出さないことを、やってみせてしまう。やるって言ったら、やるんだよ。なんでみんなやらないんだとすら言わずにわざわざすましている。わざわざわざわざである。100点が取れる。そこは、僕や山口くんとおんなじだ。そして、しゅんち自身が気づいているかどうかわからないが、しゅんちは本当はそんなことはどっちだっていいんだと僕は思う。全部集めたり、序列をつけたり、全部捨てたり。すべて知っても、知らなくても。うまく社交ができたり、一人きりだったり。

彼はいい景色を見ることができると言われたので山に登ったりする。本当にいい景色だと思ったり、たいしたことはないと言ったりする。そう振る舞うことに対して頑固である。彼はものごとを位置づけたり、相対化したりするが、客観的などではない。それはすばらしいことである。

 

 

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