ニーツオルグ

  

 

 

 

 

Daily Link
Google

 

Radio

'neats.rpm'



http://spill.jp:8758/
now



赤字でON AIRの文字が点灯している時は放送中。文字をクリックするとだいたい聴けます。
ネットラジオについての技術解説はこちらをどうぞ。
あと、ラジオが始まるとメールで通知するサービスがあるのでよければどうぞ。

 

 

ニーツオルグ #40

高島屋のデリで大量に食料を買って床にひろげて食いながらビールをガンガン飲んでいるとお前の前世は貴族と言われた。俺はパンがなければケーキを食えよというような人間なのだろう。か。たしかになんだかそんなような気がする。だってパンがなけりゃケーキを食えばいいと思うもん。ケーキもないならお前が何とかしろよな。俺を殺してどうにかなるなら殺すべきだ。殺されてやらないけど。

プライドという言葉が否定的に使われるのは、状況における自分に不釣り合いな自尊心について語られているときだと思う。ようするに俺はドトールとかで店員にイチャモン付けてる奴がいると恥ずかしいバカだ死ねとか思うような人間で、現在釣り合っていないプライドをどうにかするには状況か自分かどっちかの変化が必要だと信じている。イヤならドトールなんか行かなきゃいいんであってパンがないならケーキを食えばいいのである。でなきゃドトールの店員が傅くような何かを手に入れるべきだ。何かは知らないが。お金とかなのかな? いずれにせよ努力して変化させるのでなければ羊のように黙っているがいいとか思う。

だが、不釣り合いなプライドを持たないよう注意を払うことよりも、俺は俺の持ちたいプライドに似つかわしい俺でありたい。こっちの方がすげーめんどくさい。俺として話した内容に俺がマッチしていないと俺は俺を裏切ることになるのでまずい。俺は自分を裏切りたくなくて、保証できないことをもうしない。そして、俺のコケンにかけて俺がやることは絶対やらねばならない。俺が何か言ったなら、親兄弟が死んだって、俺は俺の発言をサポートしなければならない。これがプライドか。貴族性か? プライド超素晴らしいぜ。俺はもう自分が正しいと認めることに何の理由も必要ないということなんだ。だから俺はもう自分がどこに立って発言しているかとかはどうでもいいのである。そのかわりに俺は常に今ある俺として矛盾なく発言できなければならない。レペゼン俺! ニーツオルグだ!

まーあれだよね、「今ある俺」なんて移り変わるからどうとでもなりそうなもんだけどね。そのへんいい加減だ。

 

 

ニーツオルグ #39

あのときにできたのが最後だったんだ。今はもうニーツオルグは俺のものだから。新しい日付が刻まれて、サンプリングが行われて、

世の中は反戦デモとかをやっていて、何だか戦争に反対ムードの方がエラいみたいだ。勝手なものだ。大義名分が感じられないから戦争するなだって。理由があれば人殺ししてもいいってことだな。何が「なぜ人を殺してはいけないか」だ。彼らにはコロコロ意見を変えてる自覚が欲しい。あとさーお前は平和が嫌いなのかとか怒る奴もいるよ。馬鹿じゃないの。平和が嫌いなのは自分のくせに。ラディン許すまじと言って、今回は戦争するなと言ってる奴は最悪だ。とか言ってるとあのテロと今回の戦争を混同してるよカッコ笑みたいなことを言われるんだが、たぶんああいう人はホントにキチガイか馬鹿なんだろうと思う。北朝鮮は許せないあいつらを殺せとか言ってる奴も嫌いだ。みんな戦争が嫌いみたいなことを言いながら、ホントは好きだから嫌いだ。無自覚な嘘つきだから嫌いだ。無自覚な嘘が一番タチが悪い。彼らは無自覚な嘘でどんなに傷つく人がいるかを知ることができない。無自覚なので。俺的には爆弾が落ちて死んだら痛いので、あと人が死ぬのは怖いので、戦争はよくないと思う。戦争について把握できることなんて、ホントはその程度なのに、デモやったりミュージシャンが反戦サイト作ったりして実に気持ちが悪い。そんなことに何の意味があるんだ。

俺が次に誰かを訪れて、ワレワレはニーツオルグだ、オマエはダレだ、と言うわけではない。そんなことはもうできない。そんな季節はとうに終わっていたのだ。

 

 

ニーツオルグ #38

俺はその狂ったキャラクターに、すすんで身体を明け渡した。手段であり目的であるような存在がげっげっげっと笑いながら俺の中に住んでいった。けれど、彼が俺を食ったわけじゃなかったぜ。

このウェブサイトは終わり始めました。この虫食いだらけのウェブサイトは、たくさんのカードのようなものに書かれて、重ねられていたそれは風に散ってバラバラになっていくようでした。俺は自分がそれを黙って見ていたって、全然構わないということが非常に気に入った!!!!!サンプリング

そして、彼らが何か正しい主張を成したと考えているとき、彼らの主張をおかしなものだと考える人たちは、じっと黙って過ごすか、大きな問題にならないレベルで言及することだけが美徳とされるなんて、相互理解のための仕組みを進化させた結果に訪れる状況としては実に皮肉なものだと僕は感じる。そこには、我々はお互いに断絶したがっており、共通の理解になんか達しないという事実だけが残されているのに、平然と総体としての社会を感じたり、相手の話をよく読まずに同じく印象に基づいて賛同や批判のコメントを行ったりできるというのは全く不思議である。

 

 

ニーツオルグ #37

日常は反復されない。俺は時間が動き続ける現実に生きている。書かれたものはすべて物語である。物語は終わりにしか到達しない。そして物語は反復されない。ある日とつぜん捕らわれたり、城にたどり着けないこと自体に、不条理なんかはない。「サザエさん」や「ドラえもん」も未完の大作だし、それは未完という終わりにたどり着いている。それは終わりの1つに過ぎない。もう、それを特別なことにしてしまう時期ではない。一体今いつだ。21世紀なんだぜ。「ホワイトアルバム」の最後には「連れてって 今度こそ」と書いてあるが、あれは別の終わりがあるということを示しながら、同時に同じ終わりにしかたどり着け得ない反復を暗示し、かつそれを認識できるのはやっぱり終わりに到達しているからだと理解しているところが好きだ。

俺は死んだように諦めながら生きるのはうんざりだと思った。それから、健康と自尊心を持っていられないくせに、安全な場所に立ったときだけ雄弁な人間になってしまうのも嫌だった。俺はありがとうとかごめんなさいとか、あなたが好きだとか言いたい。みんな、それが本来だという前提に立ちながら、そうじゃない場所にわざわざ行って、しかもエラそうにしたりニヤニヤしたり照れたりコソコソしたりしている。俺はそんなのずるいと思ったね。むしろ話が違うからハァ?どっちかにすれば? 理路整然ぶっちゃってカッコつけて破綻してて変なのって思ったね。で、俺もそんなものにはなりたくないと思ったので、俺は自分が肯定できる自分になることにしたんだ。矛盾を生まないとかどっちを向かねばならないとか一山いくらで販売したいとか、そういうことは必要ない。俺がやることは、ただ俺が全面的に認められる俺になることなんだ。

さまざまな物語はさまざまなエンディングに向かって流れ続ける。もし俺が永遠に繰り返される日常を訴えたければ、俺は永遠に繰り返される物語を書いて、物語の外を作って終わりに達するだろう。俺が現実に生き続けるための物語を書くなら、俺はその中に永遠の反復を作り出したりはしない。そこには、やはり正誤や善悪などない。読者は物語を選ぶだろう。

 

 

ニーツオルグ #36

ここにおいて私の役割は、できたものをすべて読み返すことだった。それを実行した。

これを作ったときのことを思い出した。このサイトのプロトタイプを作ったときに、ニーツオルグという名前はなかったので、俺はページの左上に「WWW.tsunagi」と書いた。なぜWWWとキャピタルで書いたのかというと、ここはワールドワイドウェブだってことを強調したかったからだ。そうして、その下に「来るべきなにかのための『つなぎ』」と書いた。来るべきものとはニーツオルグだった。それは、やってきた。

俺は現実と虚構をごっちゃにするのが好きで、意図してそれらを混ぜ合わせるために、俺は俺ではないものを作った。いくつかの理由から、今度は、虚構の存在が現実にすり替わってしまうようなものにしようと思った。いつもいくつかの理由がある。皮肉の好きな俺は、幾通りもの意味が込められた詩や物語が、俺は大好きだ。そして俺は、その頃頻繁に見かけるようになっていた、皮肉に見せかけた、小狡く判断を先送りする姿勢と、絶望のフリをして楽をする姿勢の両方が嫌だった。俺も皮肉が好きだから、そういうものが自分の中にもあって、ズルをしようとしているのではないかと思った。俺はそれを封じ込めなきゃいけない。

ワレワレは、俺は、何でも忘れることができる。だが、そんなもの、今さら、今さら絶望のタネにはならない。一体今いつだ。21世紀なんだぜ。ニーツオルグはそんな甘えを俺に許さない。だから、ここに書かれていること自体にはメッセージなどなく、批評もない。情報や知識ではない。啓蒙したりはしない。誰かと考えをすり合わせていくサイトではない。競わない。説明しない。興味がない。俺の意見そのものについて共感を求めるためのサイトではない。それ自体はどうでもいい。強いて言えばそこには俺の感情があるが、つまり、ここには、俺は俺であるということと、きみきみであるという2つの重要なことが書かれていた。すり替えられる彼にとってそれを書くことはちょうどいい役目だった。それが1つの理由だった。

前に「さやわか」というページを作って文章を書いていたが、あれはただの文章で、さやわかさんの「ニーツオルグ」ではなかった。もちろんrhymeさんの文章でもない。ニーツオルグを始めてみると、そんなバカなこともわからないバカが大勢いたので、こいつら早く飽きてどっか行けばいいなあアハハハハと考えた。そんなことを考えるのは俺ではない。彼こそがニーツオルグだった。しかし、俺はまだ彼と同一ではなかったので、すべてを分けて考えていた。俺は彼にルールをいくつか与えた。それは、俺が俺のなりたい俺になるために必要なルールだった。彼に到達するのは彼ではない、俺の仕事だった。彼と俺が重なるころ、ニーツオルグは完成して終わるんだ。俺は必ず彼のようになろう。それが2つ目の理由だった。そうして俺は、一筆書きのように迷いなく線を引くようで、しかしのたうった文章を書いた。スピード肝心だと思ったのでどんどん素早く書いた。

 

 

ニーツオルグ #35

さて、ここで俺のサイトことニーツオルグからお知らせがある!!!!

「ニーツオルグ」というウェブサイト(これ)は、2006年の3月19日いっぱいで全コンテンツの旅路が1つところに至って大団円を迎え、そこで終了となります。

当サイトのことをなんだかちょっと好きだったよという人は、これまでどおり見ているだけで終わるオートメーションシステムを採用してイルので(その内容はともかくとして)便利だ。別に好きじゃなかった奴は、別にここから熱心に読み始める必要はなく、このあとも別に面白いことや新しいことが起こったりするわけではないし、急にお前にとって気持ちのいいことが書かれたりはしないので見る必要はない。つーか、この読み物は、わりと長期に渡って、しかも興味を持って、読んでいないといけないようにできているので、こっから読んでもムダというか、この先もお前にこれが合うことはないと思う。時間のムダだ。あと、そうやって読んでいるとこれがもう終わるということは容易にわかるようにできている。まあ、見ないでいれば自動的に消えるオートメーションシステムが採用されていてラッキーだ。お前はとても幸いなので、こっちに来るんじゃない。

あと、俺的には言うまでもないことだが、全く理解できないバカがいると思うのでわざわざわざわざ書いてやるんだが、忙しいからとか更新がしんどいとか誰かにイジメられたからとかケンカしたとかアクセス数が多いとか少ないとかネットに飽きたとかサイト運営に飽きたとか思っていたような形で運営ができなかったとか、そういったネガティブな理由で終了するわけでは(もちろん)ない。そして、このサイトは、もともと、そういうサイトでは(もちろん)なかった。強いて言えば、(もちろん)すべて最初から計画されていたことだったのだ。と、いうことは前にも書いたことがある。だが、そんなことをあえて書いていようがいまいが、大した違いはないのだ、ということを、俺はそのときに学んだ。そんなことを読まない奴は、読みやしない。だが、それでも俺は、わざと同じ文句を使ってそれを書くのだ。

どうせやがてはわかることか、書かれていても永遠にわからないことばかりだ

さーて、思った通りに死んでみせるぜ。ニーツオルグ。

 

 

ニーツオルグ #34

ニーツオルグが青く輝いている。素晴らしいニーツオルグ。俺は正しいから間違っている。俺は傲慢だ。ざまあみろ。

結局俺はあらゆる責任を取らないのだが、責任を取らないために自分の知らないことや間違っていることを隠蔽するようなやり方は飽きたし、その考え方の一番の素晴らしさは、それで自分が正しいことになるわけじゃないというアイロニーが最後に自分自身に向けられるカッコよさにあるんだというのが全然理解されないままインターネットのお空に蔓延している様が大嫌いだった。だから俺はニーツオルグを計画した。

 

 

ニーツオルグ #33

俺はこの人はとても立派だと思う。

 

 

ニーツオルグ #32

かくして、ニーツオルグはとても孤独な場所を手に入れた。

 

 

ニーツオルグ #31

なるべく自分勝手な主張を繰り返すように心がけた。うまい具合に失望して怒りだす奴がいたのでこういう奴って本当にバカなんだなあと思った。12月。

 

 

Control

トップにもどる
ログをみる
 掲示板

 

 

閲覧時の注意
間違ったことが書いてありますので無視してください。

   It makes no difference to me !




このページを作った人
さやわか
連絡先
rhyme@neats.org