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ありふれた事件 #70

クラナドもリアライズも終わらせたが、キャシャーンを観たので先にその話をするんだが、先に書いておくと面白かった。つまらないものをつまらないと書いたり、面白かった作品にあそこが変だとか言っていると、俺はなぜかいつも辛辣な意見ばっか言ってるみたいに言われるんで、すげーうぜーと思っている。俺は面白いモノにはつまらないものをつまらないと書くのと同じ情熱を傾けて面白いと書いているのに、そういうとこは何頑張ってるの? クスみたいに言ってて、辛辣なことを書いたときだけ面白いねとか言ってる連中をニーツオルグの俺は100%嫌いだ。

話が逸れた。暗い映画だというのが全体的な感想で、だがしかし先日飯田橋で飲んだときに聞いた話で想像したほどつまらなくなかった。むしろ観てよかった。でも観ていて物語とは別の部分で辛くなった。

オープニングシーンで思ったのはFF7に似ているということだ。空から長回しでスラム化したいかにもサイバーパンクって感じの街にカメラが降りていって列車とすれ違うってそのまんまだよな。当然だが俺はパクリだとかそういうことが言いたいんじゃなくて、なんかこう、CGだからできましたというものを見せられたなという感じ。荒廃したサイバーパンク、飛び交う旧字体の漢字、未来の話なのに木製のカメラ、これはファッションなのだろうか。レトロフューチャーを超えて今、懐かしくて新しいサイバーパンクが旬ですか。イノセンス! アップルシード! という感じで気になった。

目を惹く要素としてファッションが導入されるのは俺は全然構わない。でも、カッコいいかよ? これ。俺はキャシャーンを批判したいんじゃなくて、最近よくある何の意味もないサイバーパンクが何かすげ気になる。特に、それを持ち出しながらも、我々にとっての現実を問う内容ばかりだということに疑問を感じている。ファッションはリアリズムじゃないってのは当然分かってるはずでしょ。マトリックスはあるひとつの現実を問うオリジナルだったが、キャシャーンも含めて、ほかのは一体何なんだろうか。

俺はどちらかというとサイバーパンクが好きだと思うので、それ自体がヤだってわけじゃない。でもそこばっかりに僕らの現実についての問題があるわけじゃないのに、そればっかりやる意味が分からない。ばっかりだよ。そして話は戻るが、そんなのFF7じゃないか。2じゃないプレステでスクウェアのヒゲが喜んで作ってたようなソレですよ? 俺はFF7が大好きだが、今すごくオシャレに見えますか? 「新しくない」サイバーが。ブレードランナーが、ともちょっと違うでしょ?

あーもう説明するのが非常に難しいのだが、でさ、そういうファッション的なサイバーパンクの中で、民間人をバカバカぶっ殺す兵隊がいっぱい出てきて、何の意味もなく人が死んでいって、それをアタマ30分ぐらいさらっと見せた上で「お前は本当の戦争を知らない! お前は本当の戦争を知らない! お前は本当の戦争を知らない! お前は本当の戦争を知らない!!!!!11ぬぬぬんn」とか言われてかなり閉口した。お前もだろ。キミも本当の戦争なんて知らないじゃないか。俺だって知らないけどさ。もちろん自分で作っててそう思って、とっても辛くて、だからこそ兵士にバンバン民間人を殺させてみてみんなブキ持って戦うってどういうことか知らないよねって言おうとしてるわけだけど、それってすごく辛そうでかわいそうな手段なんだけど、ダメだと思う。そういうことをやる、のに、僕もホントは戦争知らないんだよと思ってる部分が見えている、つーか見せている、と、いうのは、矛盾が一番イヤな形で露呈するやり方だと思う。それは甘えだ。心がとても優しすぎる。ホントの意味で高みに立ってモノが言えてない。優し過ぎるからこそ、お話の中で殺した人はムダに死んでるんだ。そうなるとファッションはその上を踏みにじっていくように見えてしまうんだ。

市街戦のシーンではずっと「フルメタル・ジャケット」のことを考えていた。やらなきゃお前がやられるとかギャンギャン叫んで、スローモーションだか無音だかで女子供を殺すのは極めて日本のテレビドラマ的な演出だ。絵がじゃなくて情念が。テレビドラマが悪ではないが、この話でやることじゃないと思う。一定のキモチを伝えるためにほとんどわざとやってるんだと思うけど、そういうところでテレビドラマ的になるのは違う。

しかも後半でその兵士が妻と子供の恨みを晴らしたかったんだみたいなことを言うのはズル過ぎる。フルメタル・ジャケットでもギャンギャン叫びながら人殺ししたがるよく似たキャラクターが1人出てくるが、「よく女子供が殺せるな」「簡単だ。動きが鈍いからなギャハ」 とか言う彼が怒り狂いながら味方に機銃を突きつける様は、本当に撃ちそうな悪夢のようなプレッシャーを感じる。それが怖いのは、「彼がおかしくなってる(でもホントはいい子だよ)」というのではなく、敵も味方も、そこにいる全員がおかしくなってしまえるからであって、女のベトコン1人を必死で殺したあとにみんなでミッキーマウスを歌いながら粛々と行軍するから、戦争は狂っているなあとか思うんでしょ。自分の命だってものすごく軽くなっていって、まさしくハートマン軍曹が言うように「命には平等に価値がない」ことになるのが暴力ってスゴイ(怖い)ってことなんでしょ。余談だけど新井英樹の「ザ・ワールド・イズ・マイン」はそういうことを狙って同じセリフを使ってたんだと思う。

それをさ、戦地でなんか怖い兵隊がいました女殺せとか言うんですとかって銃握りながらボロボロ泣いて、結局は子供を助けようとして死んじゃって、んで生き返って「お前は本当の戦争を知らない」とか言ってるのはロマンティックすぎる。それは「はだしのゲン」のアニメをテレビで見て「戦争、よくないわ」と思うところの延長線上にしかない。昔の戦争映画だったらまだそれでもよかったのかもしれないけど、でも今の現実じゃない。ヒューマニズムが解決策にならないからこそ苦悩しているのに、シーンごとにいつも極めて収まりのいいところからしか問題を扱わない映画に「お前は知らない」とか言われるのは心外だ。それは本当にストーリーテイリングとして巧みだし、彼が選んだ言い方の中では完璧に振る舞っていると思った。でもやりたかったはずのところの「ホントの現実」には向き合えてないし、アニメやマンガだっていうのがそういう弱い部分を「まあフィクションですから」と逃がしてあげる形になってしまっている。それは全然本意ではないはずだ。そんなの今どき、アニメやマンガですらない。アニメじゃない(アニメじゃない)! アニメじゃない(アニメじゃない)! ホントのこ〜とさ〜。違うって!! ホントじゃないって!!

で、開き直って、戦争反対兵隊ってみんな頭がおかしくて〜というのなら、まだエンタテインメントとして成立するけど、俺はそんなもの観たくはないし、作者だってそんなこと思ってないだろう。だからといって、選んだのがああいう見せ方になってしまうのは、まだカッコつけが過ぎると思う。安全な立場からもっと降りられる。

でもまあ、なかなか面白いなあと思いつつも腑に落ちないものを感じながら観てたわけだが、アンドロ軍団が非常にカッコよく街を壊しだしたのでうわーそれもイヤだよと思った。同じ理由でずるいよ。機械はカッコいいのかよ。かっこよくバンバン人殺してくださいねってことかよ。でもそれバレると困るからか、アンドロ軍団が民間人をバンバン殺してるところは描かれません。人間はいつもショッキングな形で人間によって殺されます。ズルいよ。戦争反対のミリタリー少年みたいなもんになってしまうのはダメだと自分で分かっていた結果、やっぱりそれをやらざるを得ないのはどうなんだよ! 逆に言うと機械はぶっ壊してもいいんですか。人型兵器は人じゃないからか。背後に人間を感じなければ何でもできるよな。でも、ラストで大爆発させても観る側にカタルシスも気持ちも残らないのは、ショッキングな形で人が殺されていっていたのと、ロボットが暴れ回っているのことの意味を、半ば意図的にすれ違わせてしまったからじゃないすか。

戦闘機カッコいいなあと言いながら戦争いけませんと思ってしまえるのが今の状況であって、それをそのままやってしまって、最終的な着地が「人を許せよ」みたいなところになるのがこの映画なんだが、それって何も解決してないじゃないか。「こうじゃいけない」と思ったであろう気持ち悪いチャンコロの正義感とかと何ら変わりないじゃないか。俺は「これって救いがないってことだよな、暗い映画だ」と思いながら観ていたが、最後の最後で天空からピカが落ちてきて「他人の存在を許せ。それしかできないけど、小さなことからコツコツと……」みたいな言葉でなんかあたたか〜くまとめて、西川きよしは関係ないが、しかしそれでフタをしてしまったのを見て、これこそ真の意味で「暗い気持ちになる」映画だと思った。お話を見ながら辛いことを一緒に考えてるつもりだったのに、ものすごい疎外感だ。辛いことから逃げ出して、ひとりぼっちにされてしまった。それで人を許せるなら、戦争なんて起きないし、この話が成り立たないよ。これだと、延命目的ということで私利私欲っぽかった大滝秀治を比較的楽に悪者にしてしまえる。でも、そんな部分で悪を作って席を立てる映画になるなら、途中をこんな風には作らなかったハズだ。

爆死したのに身体がキレイに残ってるのかよとかバイク乗ってプロポーズの恥ずかしさとか車が走るシーンのあからさまなCGっぷりとかは、俺は別にいいんだ。マンガはそれが素晴らしいんだから。でも、回想シーンになったら不自然に平和な緑の多い土手を二人乗りで自転車で加奈でお兄ちゃんは蜂の大群から妹を守って(それはなかったけど)とかは違うだろ。FF7はどこ行ったんだよ。そうなると、爆死とかバイクとかまでデタラメだから素晴らしいと言えなくなり、何だかぼやけていくようだ。心が優しい人だから、絶望について考えた末に、ただ優しいだけの終わりを用意してしまった。これは「マグノリア」とは違うと思うと俺が言ったのは、そういうわけだった。

ともあれ、俺は観てよかった。なんでかというと、いろいろがんばって考えてる人が作った映画だったから。途中で投げ出されたので暗い気分になって疲れたけどよかった。帰りのバスで、次も同じぐらいお金をかけて映画を作らせてあげられたらいいなと思った。もっと強く頑張ったものが観たいから。演技ではミッチーと大滝秀治がよかった。主役の人はあの仮面が非常に似合うところで選んだのかな思った。「キャシャーンがやらねば誰がやる」のセリフは編集段階でカットしたのかなあとか後からちょっと思った。

 

 

ありふれた事件 #69

めちゃ忙しいんだがこれはやらなきゃダメだろうということでリアライズをやっている。まだ3時間ぐらいしかやってないけどいろいろ思うところがあって面白い。クラナドと比較して何か書けるだろうからまだ書かないけど、個人的にはこれがみんなにウケるかどうかどうかでここ数年の俺のきもちとみんなのきもちの違いが分かるかなと思った。

つーか、続きが気になる。なのでしゃべり場がどうのこうの言ってるヒマなどないと思うんだが! オタクのひとも、そうでないひとも、どうでもいいことでこれをやらない人をかわいそうに思う。あと、おはなしのせかいが嫌いな人とか。

 

 

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