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読む男 #38

前回書いたハチクロの文章があまりに長いので気が狂ったと思われるところであったがエライもので俺は最初っから気が狂っているということが周囲に分かってもらえていて「いつもながらクドクドと妄言を書いてたね」などのようにいろんな人に言われただけだったので大変よかったと思った。

で、「G戦場ヘブンズドア」である。日本橋ヨヲコ。プラスチック解体高校とか極東学園天国の人だ。知ってる知ってる。どちらかというとこの作家は好きでヤンマガに載っていたときもきちんとした態度で読んだ。「G戦場」も知ってる。これを読んだことがなかったのは俺がIKKIという雑誌をそんなに好きじゃないからかもしれない。このマンガは特に、なぜか、インターネットで「いい」と言っている人をよく見かけた。なぜかは知らない。彼らはこれをいい言うのに、この人のほかのマンガをなぜいいと言わなかったのだろうと俺は思った。

が、残念ながら俺にはG戦場についてはあまり語ることがない。語ることがないというのは悪いことなわけじゃなくて、とてもキチンとしたマンガで、ちゃんと考えて作ってあって、お話は非常に分かりやすく、間違いがなく、そして俺はこういう思いがドバッと溢れてるマンガが大好きだ(だからこの人のマンガは好きだ)。

でも特に言うことがないんだよねこのマンガ。自分が「感動した」とすら言えないところが寂しい。俺はこのマンガの本気なところが好きなのに、同時にこのマンガで熱くなれない。というのはなぜかというと、このマンガが語っているところを俺がもう問題にしてないからなのかもしれないんで、それこそが寂しいことなのだ。いやーでもなんか違うぞ。 俺はこの人のマンガに描かれている、例えば、スカしてたってしょうがねえよということを、夢だと言って否定するのではなく、むしろ俺はいつでも本気で、他人にもお前は本気でやるべきだとか言ったりするんであるが、しかし同時に、それなのに、このマンガにバンザイできないのである。

というのはですね、この人のマンガには、本当に邪悪な人間が出てこないんだよね。理不尽極まりない暴力もない。といっても単なる暴力は存在するところが難しいのだが、結論から言うとおそらく作者は非常に優しい人なんだと思う。もちろん、とりわけ若者に。

ということについて今から話すが、先に言うと、この人のマンガには外部がないのだ。

俺が読んだ限りのこの人のマンガには乗り越えるべき(憎むべき)存在としての親がよく出てきたが、しかし、親は本当は子供のことをホントはよく考えてたりするんだよね。お互いに誤解があるだけだったりする。みんな一所懸命なだけでさ、傷つけあっても青空はひろがっているワケですよ。それから、頑張っているものや能力のあるものを否定する存在が登場しない。しても、そういう連中は全く力を持っていないんですね。でも、ホントの世界では、悪だって一生懸命悪なんだよと俺は思うんだよね。ムチャクチャ悪い奴とか、ムチャクチャ人のこと考えない奴とかだって、ものすごい力を持ってるんだよ。正義の使徒すら圧倒的じゃないかと真っ黒な心で呪いたくなるほどのニクイ奴がいるんですよ。でもこのマンガでは、そういう奴は出てこない。なぜ出てこないかというと、やっぱ優しいからだと思うんだけど、それ以外の理由としては、うーん、作者がそういう人間じゃないから感情移入しないのかなあ? この人は、しないことは、しない、という人のような気がする。物語には、それも大事だと俺は思うけど、しないことはしないってのもそれはそれで筋だとはおもう。まあそれはともかく、俺はたぶんそのせいだと思うんだけど、このマンガはストレートに読者の現実に訴えかけたいはずななのに、なぜか歪んだ位置からしか理解を示せなかった。この作者は、辛い思いをした人に、辛いとか言わないでちゃっちゃとやろうぜってことを言いたいはずなんだけど、結果として、あんまり辛い思いをしてない人か、辛さから決して立ち上がらない人、あと、既に立ち上がってる人にしか届きにくいメッセージになっていると思う。俺には届いてんだけど、俺はそれでいいのかなあとか思ってしまう。登場人物は、ほとんど彼ら同士と、そして自分と対峙するのに精一杯で、ものすごい圧倒的な力を持った悪いモノが現れたら、今んとこどうすることもできないと思う。だから、彼らはがんばっているけど、メチャクチャ本気だけど、まだ弱い。外部にさらされていない。それでもお前はがんばるんだよというところに届いていない。

で、なんでそうなっているかというと、この作者はこの世界を作って、それを閉ざしているからだと思う。それは優しさ故だと俺は思ったんだがしかし、カンだけど、たぶんこの人は、ホントにひどいことばっかり起こるマンガを全然描ける(ギャル語を私も使ってみました!!)んじゃないかと思うけど、それをしないのは、自分がそれをすると読者が傷つくと思ってるからか、でなきゃたぶん、独りよがりなものになるからなのかな。そのどちらでもなくて「自分もそれを読むのは辛いから描かない」だったら、それは単に甘いだけってことになるんだけど、この人はそういう人ではないんで、独りよがりな形でなく、ホントに辛いってのはこういうことだよってのを示せるようになれば、この人はもっとすさまじいマンガを描けると思う。ひょっとして「ホントに辛い」を既に描き得ていると、この人が思っているってことは、まあないと思うんだけどなあ。今の感じだと、内側からがんばる力が、外側の悩みをあらかじめ上回っちゃってるというか、大したことなく乗り越えちゃうんだよね。あらもういいの? という感じで。でも、内なる力ってスゴイですねというところだけで落ち着いちゃってんのね意外と。外の辛さにはあんまり言及しないの。外が何だろうが他人がどうだろうがやるんだよって話にまで来てないっていうのは、やっぱ世界が優しすぎるせいじゃないかな。

たぶんねこの人にとって登場人物の悩みがわがことじゃないんだよね。自分にとってはどこか通過した道として、先は明るいからがんばろうぜコラ、と思って描くんじゃないっすかね。そこがこの人のいいところでもあり難しいところでもあるんだと思うよ。結局登場人物はほぼコントロールできるんですよ全員。パワーのあるマンガなんだけど、作者が途方に暮れるほどひどいことは起きないし、起きそうな部分はキレイに隠蔽してあげてるんじゃないっすかね。それもまたパワーを使って。ホント、優しいというか、そこがいいところなんだけどね。

あー書き忘れた。この人は長期連載でのマンガを打ち切られなかったのはたぶんこれが最初なんじゃないかな。だから、まだまだ始まったばかりだよね。きっちり自分の見せたいモノを見せたはずなので、こっからまだもっとすごくなれるとおもう。

そういう感じでした。書いてみて思ったけど、すごくシンプルなのに意外と説明しにくい感想を抱いたのだなあ俺は。つーか、マンガをモチーフにしたマンガなんだけど、実はマンガに対する愛とかそういう話ではあんまりないので、全然マンガの話をできなかったな。例えばこれをバンドの話とかに置き換えてもわりと成立しちゃうんですよ。別に悪いことではないけどね。それが主題じゃないんで。紹介してくださった方ありがとうございました。でもガラスの仮面も面白いんだよ!! 次は二宮ひかるなんだけど読むのは「ハネムーンサラダ」でいいんだろうか(まだ言ってる)。

 

 

ありふれた事件 #126

SpeedCommanderのバージョン10.20.3975を日本語化するパッチのバージョンを上げた。これ。目に見えるところの日本語化はほぼ完成したので打ち止め。めんどくさかったけど最後はわりと使いやすくなったと思う。

 

 

読む男 #37

先日ネットラジオで「ガラスの仮面の続きが読みたいけどない。困る。ガラスの仮面の中毒症状を抑えられるほど面白いマンガをぜひ紹介してくなさい」と募らせていただいたところワッサワッサと掲示板にマンガのタイトルを投稿してもらったので、せっかくなのでその中で読んだことがないものを全部キリキリ読んで感想をメモっていくことにしたのだった。

ということで最初に読んだのは一番最後に投稿された方の「ハチミツとクローバー」であった。非常に有名なマンガで、売れてる。俺でもタイトルも絵も知ってる。でも読んだことがない。で読んだ。非常に少女マンガ的な感性によって描かれた純粋な少女マンガ的なマンガであった。その証拠に絵の描き方も話の動かし方もかなり感性だけで作っている。というのはケナしているワケじゃなくて、久々に日本の少女マンガの流れに乗ったモノを読んだので待ってましたという感じであった(ちなみにこれを読む直前には全く偶然だが「花とみつばち」を読んでいた)。

が、しかしたぶんこれを少女マンガに分類すると違和感があると思う。もちろんこれを全体からして少女マンガと分類するモノではないんであって、マンガ的な作りが非常に少女マンガ的だなあと思ったってことなんだ。まずね、人間じゃない人たちが「キャラクター的にかわいいから」という理由だけで出てくるんだよね。という、作者のキャラクターに対する愛着の持ち方がまさに少女マンガ的だと俺は思ったんだけど、うわーこれ全然説明になってないや、えーと要するに作者は第一話においてキャラクターを全然人間として扱ってないのね。まず「森田先輩」というのはギャルが描くマンガによく出てくる「顔が普通にカッコよくてセンパイ的なキャラで、才能とかあって天才で、でも子供っぽくてエキセントリックな行動とか取ってみんなのトラブルメーカーで・でも・そこがかわいい〜ン」という、少女マンガ的にごくありふれた、読者にとってまたは作品の第一読者たる作者にとってすごくマンガの中に居て欲しい存在何だかなんだか知らないがやたらと見かけるようなアレなのである。これは萌えとかとも関わるすげー難しい話なので書き始めると俄然(ギャル語を私も使ってみました!!!)ハチミツとクローバーから遠ざかっていくのではしょることにするが、で、アレって絶対に現実に存在しない人間以外の生き物なんだが、それは「マンガだから当然」と言われたらそれまでなのであるが、しかしそういったものをいきなり用意して、作者はほとんど「マンガを描くのが純粋にスキ!」と言っている少女のようにキャラクターを人形遊びのようにもう夢中で画面内で暴れ回らせるわけです。

うわーこういう書き方すると何かケナしてるみたいだけど俺、語彙が貧困でダメだねー、で、もう1人第一話で登場する主人公の一人たる「はぐみ」も極端に人間外であり、「作者的にかわいい」ディティールをまとっているのです。が、しかしはぐみの方がまだマシであって(女子だからかもしれない)、ナイーブだったり傷つきやすかったり箱入り娘的だったりする天才な女子というのはここまで極端な形ではないけど存在することはする。し、彼女は「ナイーブである」という設定ゆえに「内面」を描いてもらうことができて、そのおかげで3巻以降では等身が普通になってたり別人かよというような顔を描いてもらえたりする。

が、しかし森田先輩はいきなり少女マンガ的「天才」として登場したので、一向に内面を持つことができない(だから6巻での彼の「自分探し」は中身が全くないのにいきなり始められたがために失敗する)。彼はそれでも途中まではまだ内面を作ることができたんだけど、はぐみにキスをした直後に展開を進めたくなくなった(この話は後述する)作者によって渡米させられ、アカデミー賞みたいのを獲っちゃうんだよね。これで彼はもう常人レベルに戻ることができなくなって、で、はぐみの才能を常人の皆さんに説明するためだけに「アイツはもっとデカイ場所で生きていくべき人間だ」なーんて恥ずかしいセリフを言わされるようなつまんない役回りになるのである。かくして彼は明らかに人間じゃないものになってしまって、彼が何を考えているか登場人物達には分からないし、同様に、読者にも作者にも彼が何を考えているかは分からない。本人にも(まだ?)分かっていない。ちなみに作者はそのことに気付いていて、2巻の巻末にある「ハチクロこれまで物語」というのには「でも案外自分でも自分のコト解らないでいるのでは?」と犬の口を借りて言わせている。

で、俺は思ったんであるがこのまま森田先輩が何とかしてマンガ内でみんなと同じ生き物として見せ場を作っていくにはA.死ぬ(空に顔が浮かび「死んだアイツに代わって俺がはぐみを甲子園に」などなどの感情を竹本に抱かせることができる)B.病気怪我事故などによって作品を作ることができなくなる(天才を常人以下におとしめることによってそこから別の才能を開花させる話にすることができる)C.過去(トラウマというものはそこまでの話の流れとは無関係に登場できるので便利。家族などに関わる悩みを乗り越えたりすると人間ぽい存在になれる)D.はぐみのことを考えると頭がどうかなっちゃってはぐみや竹本、周囲などにひどいことしだす(盛り上がるけど辛い話になる)E.芸術に対するごく普通の挫折(単純に作品が作れないとかライバル登場とか。これが一番よくないパターンだがとりあえず見せ場にはなる)などの方法しか残ってないような気がする。それ以外にもあるのかもしれないけど、どちらにせよ彼という人間は、もう物語の最後になってもそう簡単には読者に同じ人間として祝福されないような人になっている。でも、彼はそうやってるうちに物語の中で時間が経ってしまい何も成し遂げないまま卒業してしまったので、ムリヤリ3年生として復学していて、作者によって何かやるチャンスをあえて与えられている。

ちなみに「ハチクロこれまで物語」は全部犬のセリフになっているが、実は作者から見たマンガ全体に対する考察になっていて面白く、これを読むと作者は自分のマンガの読み手としてかなり批評的な目を持っているということが分かる(でもそれを創作に使ったりしないというのがとっても少女マンガ的)。

で、こういう構造を持ったマンガなんていくらでもあって、別にホントは珍しくないし、そのまま「かわいくて面白い」キャラクターを動かしていつまでも遊んでいるだけの少女マンガというのはいっぱいあるんであって、それが証拠に1〜2巻の流れはまさにそうなっているのね。でも面白いことにこの作者は「真山」が卒業するあたりで突然「みんなこのままではいられない」ということにハタと気付いちゃってて、それが作品全体のでっかいテーマとしてのしかかってくるのである。最初は失われてしまう真山に対して、「真山は寂しがり屋だ」というキャラクター性によってみんなから離さないような位置を用意したりするんだけど、当たり前だけどうまくいかないんだよね。時間がどんどん動いちゃうから。で、作者は腹をくくって「進んでいくみんな」の話をちゃんとやらなきゃってことになったので、2巻の途中で「お別れの日が近づいているのだ」というやや唐突に見えるモノローグが入ってるんだね。でも作者は、もうほとんど感覚だけでハッキリ何が問題なのかを自覚していて、で、ここがエラいというか変わってると思うのは、その問題自体は誰にも語らせないし、自分でも描かないんだよね。というか、むしろ作者は「お別れ」を半ば阻みたいと思いながら、でも神様たる時間の支配者として、半分ずつの気持ちでマンガを描いてるんだと思う。

つまり作者は登場人物自身よりもたぶんこの世界が好きで、みんなが進んで行っちゃうのがどこかで嫌なんだと思う。だからこのマンガは話が進みそうになるといきなり筋を放り出したりする。森田先輩とはぐみがキスしちゃったりして話を進行させなきゃいけなくなると森田が海外に行かされるというのがすごい典型的で、その証拠に、行く前と行った後では、行く直前のエピソードを反故にした以外のさしたる違いが存在しないんである(余談だが俺がこの作品に「人形遊び的」という失礼な印象を抱いたのは「人がいきなりいなくなる」という展開の作り方がやたら多く、すごく分かりやすくて面白いなあと思ったせいだ。しかもそのわりにそれは話を進行させるためではなく進めないためがほとんどというのが面白い)。あとヴィクトリア調のミニチュア家具とかも完成しちゃうとはぐみと竹本の関係について何かを作品として示さなきゃいけなくなるので、忘れられる。真山と理花が同じ職場になっても、なっただけでいきなり関係の進行が止まる。そもそも、彼らの恋愛の動機というのがすごく曖昧にされるようになっていて、それもなんでかというと、ハッキリさせちゃうと話が進んじゃうからなんだよね。第一話で竹本がはぐみにひと目ぼれする理由も「人が恋におちる瞬間をはじめてみてしまった」とか他人の目からしか語らせないようにしてハッキリしないぐらいなんだよ。最初はそれでいいんだけど、物語としてはどっかでとっかかりを作って話を進めなきゃいけないのに、全然そういうことはしないで、彼は鈍感なんだってことにして、なかなか自分の恋に気付かないねえなんてやってるうちにいつの間にか彼はずいぶんはぐみのことを好きになっている。これは物語的じゃないことなんだよね。

でも、そこがこの作品の最大の魅力で、この作品のリアルさというのは、そこから発している。本当はたぶん作者だって、つーかむしろ作者自身が、この世界のモラトリアムから離れたくないんだが、でも作品の時間が動いている。ので作者は登場人物に引っ張られるようにしながら、そしてときどき展開を中座させたり登場人物に思考停止させたりして抵抗しながら、でも時間に引きずられてるって話になっている(そして最後にはたぶんきっとみんな大人になる、はず)。それは先生の山田に対する「努力するか諦めるか、どっちかしかないよ。人間に選べる道なんていつだってたいていこの2つしかないんだよ」というセリフにも表されているんだが、つーかこのセリフ自体じゃなくて重要なのはそのあとに続く「けれど僕はこの時ひとつ嘘をついた。3つあったんだ。選択肢は本当は。でも2つしかないと信じていた方が道はひらけるから、3つめの答えを僕は口にしない」というモノローグなんだが、俺はこの話の登場人物が取っている道は今のところすべて「諦めないけど努力もしないで、なるようにしかならせないし、なれない」になっているように感じるんだよね。いつも登場人物達は大事な判断をしなきゃいけない状況になると、シーンが突然変わったりしてそれをさせてもらえない(する必要がない)。だから山田だってその後もやっぱり諦めないし努力しない。次に同じコトを指摘されたときにはほとんど変化がなくて、有限な時間だけが浪費されており、つまり、既に流されるしかない状況になっている。

ちなみに横道に逸れるけどそれは全員が最初からそうで、船のシーンで真山に「戦うのがイヤだから放り出そうとしている」と竹本は言われるけど答えられないし、山田も「ダメだって言われたけどそんなあっさりキライにはなれない」と言いながらも状況を変えるようなことは全くしない。

でまあ作者が3つ目の答えとして流されるってことを用意していたかどうか知らないが、作者が感性(話を進めたくない防御本能)で感じ取ってそれを隠蔽しているのか、計算ずくでやってるのか分からないけど、つーか違うと思うけど、「そういう状況に私たちがなっている」ということを登場人物たちがことさらのように口に出したりせずにすべて行動としてアウトプットされて流されていくっていう、結果的に生まれた作品全体に流れる登場人物の動きのありかたが、いわゆる物語的でないからこそのリアルさになってるんだなあと感じた。

あと思ったことはー、以上のように判断が保留されたままになっていることが多すぎるが故に、竹本は大事な主人公のはずなのに影が薄いんだねということだ。彼の内面がいつまでたっても描かれないのは、内面がないからだ。なぜなら、彼は前述のようにはぐみを好きになった理由すらよく分からない人物で、どんなに両親だののエピソードを描いたとしても、たぶん埋まらないんだよね内面。しかも現実の青春くんのように「僕には何もないのでは」とかいろいろがっつり思い悩むどころか悩むためのヨリシロすらないほどホントに何もないので、感情移入のしようがないから、読者も作者もこいつを「青春てたぶんこういうふうに悩むのよね(なんか違うような気もするけど)」という感じでしか好きになれない。実は彼と山田は学校と自宅以外の外部をほぼ全く持っていないという点で一致していたんだが、山田は「かわいい女子」として作者が楽しんで描いているし、かわいい女子としてのとりえがいろいろあるんだよね。しかも恋愛の話に大きく絡んで登場することに成功したので、どんどん外部を広げていくことができた。でもでも竹本には何もないままずいぶん話が進んじゃってて、特に恋愛に絡ませてもらえてないので、彼はチャリこいだって両親の話したって、まだ空っぽのままなのである。恋愛マンガかどうかはともかく、彼の恋愛を発端に持って来たマンガだしそりゃしかたないよな。つーか俺としては森田先輩も竹本も2人とも中身を与えられないままごまかしごまかし来てたので学校に残るしかなかったんだよね。学生としてもマンガの登場人物としても。だから俺としては本当は学校に残らないで物語にケリつけて終わる方が全体の筋が通ってるかなあと思ったんだけど、作者の中でケリがつかなかったんだから仕方がないんだろうなあ。

でも山田はわりと厳しく扱われだしてて、先生になんか言われたのに何も判断してないからあとで野宮に泣かされるんだよね。こういう罰を用意するところがこの作者が神様的である点だなあ。こっから大きな変化がはじまるのかなあ。いやーたぶんそれはないなこの話では。それがいいところなんだから。

そんな感じだった。全体としては俺のようなバカがちまちま考えをめぐらせるのに適したマンガでうれしい感じでした。こんだけ文章を書けるぐらいには考えを組み立てられたのでトクした気分。紹介してくださった方ありがとうございました。でもガラスの仮面も面白いんだよ!! 次は「G戦場ヘヴンスドア」。

 

 

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