解題・ムーノーローカルの作り方

または

インターネットはおもしろいという人への饒舌な韜晦

紆余曲折しながらまとめあげられたので必ずしもこの限りではありませんが、ムーノーローカルの作者が意図していたことは以下の通りです。
作者は最初の一年はおおむねこれらの範疇にあったと思います。次の一年はコントロールを怠りませんでした。
しかし、最後の年はかなり逸脱して好き勝手にやりました。もう終わることがわかっていたからです。ですから、終盤の読者にとってはここに書かれていることは作者のやっていたこととは違うと感じる向きもあるかもしれませんがしかし、これは本当に計画され、実行されていましたし、終盤におけるその出来不出来はともかくとしてください。

なお、この文章は「個人ニュースサイトの作り方」、もしくは「文章を主体としたwebページ一般の作り方」ではありません。

つまり、ここに書かれていることを実行して作られるものは、ムーノーローカル以外のものではありません。もしあなたが承諾できない意見であったとしても、それはあなたがムーノーローカルを作りたいと思っていないというだけの話です。

どーでもいいトピックスについて

構想時の漠然とした目的は単純で、「公からの情報に対する個人の態度の取り方のすき間を埋める」および「掲示板などでダラ話をする人たちがよほど話題がないときに見る、どうでもいいような話題のストック」だった。まず前者は当時、公のニュースに対する個人サイトの判断というのは、一部のUGサイトはともかく、ほぼすべて新聞の読者投稿欄にあるような妙に堅苦しいものであり、自分の意見を好き勝手に述べていると本人が言ったとしてもそこには言語的に何の自由さもなかった。それは自分たちが勝手に身に纏っている不自由さであり、今ではかなり減ったので信じられない向きもあるかもしれないが、それでもまだある程度は残っている(たとえば「マ○コ」などの自主的な伏せ字など。一体誰がそんな伏せ字を強要するのだろうか?また、やがて日本のweb上ではそんな個人たちがそれらの自分の倫理観からある程度逃れるための一種の隠れ蓑として、匿名を前提とした掲示板というシステムが人気を博するに至ったが、ここではそれはまったく関係がない)。そして不真面目さを標榜するサイトも、不真面目さを標榜するという意味において真面目なところが多かった。商業活字メディアにこれらの不自然さがあるので、それを読まされることに慣れた人々がwebサイトを運営する際に、自分にもその枠をおのずと適用してしまうことはしかたのないことだったのだろうと思う。だから、はなから不真面目な態度で公から配信されるニュースを読んでいるwebサイトがあったらいいなと思った。なぜならそれは本来誰もがやっていることなのに、文字にする段階で誰もがやめてしまっていることだから。しかし作者が見る限りではそういうサイトがなかったので、自分でやることにした。そういうサイトが元からあったら、作者はやらなかっただろう。もしくは、すべての人々が不真面目な視点からニュースを読んでいるのなら、作者は真面目な視点から読むサイトを作っただろう。作者はオリジネイターたりたいと不遜にも考えていたわけではなく、単に「存在していいはずなのにないもの」があるのが気に入らなかっただけである。
後者については、何のコメントもなく記事のリンクが並んでいるだけだと、どんな意味でそれらを並べているのか不明瞭になることが懸念されたので、「掲示板でネタにするならこんな感じですかね」というくらいの気持ちでコメントをつけた。なお参考までに書いておくと、作者は小さなサークルで、無意味で、なにも生み出さず、くだらない話がいつまでも続いているだけの掲示板を見るのが好きだったが、自分がそこで発言することはほぼなかったし、今もない。

しかし、そのような漠然とした意味で始めたページではあったが、やがて作者のコメント自体に対して読者が注目し、それが作者自身の意見であると受け止めた向きが多かったのは完全に作者の思惑違いであった。どちらかというと読者の誰しもが持っている潜在的な「あってもいい」部分の例を出すだけのつもりであったが、「rhymeさん」というキャラクターがそういう意見を持っているように捉える向きが多かった(当初は)。そこで、それをうまくコントロールしてエンタテインメント的に見せながら、本来見せたかった姿が時折読者に対して見え隠れするように配慮した。読者が「書かれていることはすべて作者の意見である」と判断するのであれば、それを逆手に取った書き方をすればよいのである。

具体的には、以下の事項をある程度満たすことで、誰でも「どーでもいいトピックス」を書くことができます。

・「オルタナティブな視点の提供」を行う。
・たとえば価値の逆転など。
・「あらゆる報道とは客観的な正しさに基づいて表現されているし、当然そうされるべきである」という読み手側の盲目的でしかも無意味な誤謬と、それが何か自分たちの美点であるように感じて祭り上げてしまっている書き手に対するアンチテーゼ。
・それが作者にとっての「UGニュース」という言葉の意味である。少なくとも作者にとってはツールやクラッキングの情報がUGではない。この点については、それを説明したほとんどの読者の理解が得られなかったので、おそらく作者の勝手な解釈なのだろうが、ともかくムーノーローカルはUGであると言ってはばからない。自分について何かを語るとしたらこれだけで十分である。
・いわゆる「毒舌」を目指してはいけない。それは常識の裏側にある「場合が多い」というだけである。
・だから、自分が提供する「視点」に読者が慣れ始めてきたと思ったら、さらに別の視点を提供する。
・たとえその視点が再度「一般常識」の範疇に立ち返るものであってもかまわない。
・つまりこの点においては、これは単純な相対のゲームである。作者の意見とは関係がない。
・読者が自分の提出するあらゆる「視点」に対して慣れてしまったら、つまりそれは読者が「rhymeさんというキャラクターが述べる意見」を望んでしまっている状態である。それは裏切らなければならない。
・視点のみを提供する。絶対に自分の意見を標榜しない。
・作者自身の意見は話題にとってもっとも必要ないものの一つなので、できるだけ言わない。
・なるべく作者自身に注目がいかないようにする。初期に、TaxiDriver管理人のoZさんに「ニュースステーションの久米宏のようだ」と評されたことがあったが、それはある意味当たっていた。oZさんがそこまで考えたかは後で確認するのを忘れてしまったが、久米宏は自分の意見など何一つ言っていないし、ブラウン管上の久米宏のキャラクター性という意味以外での個人の事情や背景について何かを臭わせたりは絶対にしない。彼は自分で言っているように、ただの番組におけるタイムキーパーに徹しており、その点で筑紫哲也とは全く違う。しかし、視聴者の多くが彼の言うことを「これが久米宏の意見だ」と思っている。もちろん作者は久米宏になりたかったわけではないし、久米宏が述べている「視点」にも興味がない。ただ、立場上似ている部分もあるということである。
・できれば最終的には話題とまったく無関係な結論を目指して書く。
・無関係さと無意味さがムーノーローカルにはもっとも望ましい。なぜならこれが「どーでもいいトピックス」であるためである。

・つねに読者からの批判を想定して、その批判に対して答えの提出できることだけを書く。
・反論の余地を放置しない。それは文章として美しくないからである。どうしても文章から反論の余地を消せないなら、その余地を隠蔽するために、読者の視点を別に逸らすべきである。
・「この部分はちょっとひどいと思う」など、文章表現に対する意見には、単純に言葉を改めるべきである。なんの反論もする必要はない。書いた内容が作者の「意見」ではないのに、こだわってはならない。ただし、読者に「すぎた毒舌だ」と思われるということは、自分がいわゆる「毒舌」を求めてそれを書いてしまったのではないかと反省すべきである。「毒舌」「過激さ」などを求めてはならない。
・したがって「あなたは毒舌なので好きだ。しかし、この部分はちょっとひどいと思う」などの意見を出す人々は、おおよそ的はずれであるが、そのような的はずれな読みを招いた自分の文章について省みるべきである。
・そして読者にはいっさい自分の意図していることを語ってはいけない。問われても追求されても語ってはいけない。
・自分の主義や理想やこのサイトの意図、果たしたい役割などについて語ってはならない。
・可能な限り自分から「ニュースサイト」などと名乗らない。
・「ニュースサイトとは」「個人サイトとは」「日記サイトとは」「テキストサイトとは」などの議論は可能な限り無視すること。何も言う必要はない。手の内について煩悶しながら展開されるエンタテインメントなどメタ的な意味以上の面白さはない。そして、ただ単にメタ的なものなどは、必ず誰かがやっているし、質を問わなければ誰でもできる。
・読者にはいつも優しくあるべきである。
・しかし、読者の意見を無批判にうけいれてはならない。自分には目的と意図があるのであって、それと読者の意見を照らし合わせながら行動せよ。素晴らしい指摘には従うべきである。

・勝手に更新を休まない。必ず毎日更新する。病気になっても仕事や勉学が忙しくても、絶対に更新し続ける。
・休むなら一年に一度か二度、それも一週間などの大きな単位で休む。決して頻繁に、何度も、不定期に、休むべきではない。
・機械の故障などでも、友人などがインターネット接続環境を持っているなら、使わせてもらって更新するなどの努力を怠ってはならない。
・どうしても休まねばならない事情が発生した場合は、読者に謝罪する。
・休む理由についてくどくどと言い訳をしない。
・かといって「ちょっと忙しくて更新できません」というのは恥と考えるべきである。サイトよりも自分の生活の方が重要だと語っているのと一緒だから。それは読者にとってあまりうれしいことではない。
・読者にはいつも優しくあるべきである。

・最低でも1年間は連続更新するつもりではじめる。どんなにヒットが伸びなくても、どんなに人生が辛くても続ける。できないのであれば、はじめからムーノーローカルを運営してはならない。軽はずみで始めることは悪くなく、むしろ好ましいが、軽はずみに辞めてしまうことはあってはならない。
・1年は続いて更新されていなくては意味のないページである。作者は日記が3日と続いたことがない人間だが、ムーノーローカルは日記という個人的な内容によって書いているものとは根本的に違うため、長く続けられたのではないか。
・あきらかにエンタテインメントとして作ることを指向しているので、「やっているのは俺の勝手だ」「辞めるのも俺の勝手だ」「嫌なら見なければいい」などと軽はずみに言ってはならない。それはエンタテインメントなどではない。
・ムーノーローカルは書き手の著作物だが、読者のものである。

・取り上げる話題は次の通り。
・日本の性犯罪、その他陰惨な事故事件、ツール情報、「来週の」チャート情報、「学校」にまつわる事件、専門誌ではなく一般紙で取り上げられるレベルのネット事件、専門誌レベルだが一般の接続者も知っていた方が有益だと思われるネット事件、その他の馬鹿馬鹿しい話題。
・海外の話題は基本的に扱わない。扱ってもよいが、国内だけでもじゅうぶんであるし、海外の話題を読み出すと数が多すぎて大変になる。したがって、海外の話題を扱うときは普段取り上げている国内の話題に似通ったものよりもむしろ、事件性があるわけではないが馬鹿馬鹿しい話題を選んで取り上げる。
・特定の事件の続報の類は基本的に扱わないし、自分でも熱心に追跡調査などはしない。これをやりだすと収拾がつかなくなるというのが第一の理由だが、最初に得た情報だけで好き勝手に書いた話と、あとで明らかになる情報とで内容が食い違ってしまう場合があるからである。読者から時々続報を元にして書いた内容との食い違いを指摘されたりするだろうが、実際の事件事実との食い違いを埋めていこうとするとどーでもいいトピックス自体が成り立たないので、最初から絶対に続報は扱わないものとする。ただし、読者から寄せられた続報もしくは見落としていた内容で、事件自体の価値観は変えないが非常に面白いものは「追記」という形で紹介する。
・できるだけとりあげるニュースはパターン化し、ニュース自体はどこの地域でも似たような形で起こっているが、それに毎回違ったコメントをついているという形を取る。それぞれの事件の類似性などを見て、前回の事件に対してこうである、この手の事件としてはこうである、という書き方をする。
・つまりこれはやみくもにいろんなニュースを取り上げないということである。手を広げすぎるとどれがやりたいのかまったく読者にも伝わらなくなるだろうし、世間のあらゆるニュースが読める便利なサイトなら他の人がやっているし、これから始める人だって便利なものをやろうとする方が多いだろう。
・便利だったりオールラウンド的だったり合理的だったりする必要はまったくない。それを一人の人間がやろうとすると、長く続ければ続けるほど破綻しやすくなるのではないかと思われるし、破綻しないようにやろうとすると堅苦しくなる。
・その他必要に応じて付け加えて構わないが、基本的に普遍性のある話題を用いること。あまり多くの人が興味を持てない話題を出さないこと。
・これらを、現在読者の感覚として、価値があると思われているものは貶め、価値がないと思われているものは持ち上げるという単純な姿勢だけで表現する。自分の意見が介入せざるを得ないような話題は、むしろ避けて構わない。
・ものごとの「真の価値」「正しさ」についてはいっさい触れない。ものごとに「真偽」や「正誤」などをもたらしてはならない。
・カウンター的であっても、アンチ的であってもかまわないが、それが正当な意見だとか、本来的であるなどとは言ってはいけない。オルタナティブな視点とは、メインストリームがあるからこそ存在しているのであるし、そちらが本流であることは自明である。
・どうしても正しさについて語る必要がある場合は、間違っていると社会的に言われるであろうことだけを言う。正しさがあるのは絶対にメインストリームであって、こちらは明らかに間違ったことだけを、間違った言い方で言う。
・社会、時事、政治、文化、インターネット自体、などに興味を持ったり意見を述べる必要はない。自分がそれについて何を考えているかはまるで関係がない。
・興味を持つべきなのは自分の書いている文章の出来映えだけである。
・究極的には、文章の修練であってかまわない。
・できるだけ文体を変え続けること。長くやっているとある程度固定されていくが、少なくとも最初のうちは一日ごとに文体を変えるくらいの気持ちで書くこと。
・文章の完成度について読者に問う必要はまったくない。自分に対してさらに質の高いものを要求せよ。
・web上ですべてを完結させる。ネット外では存在できないように書く。ネットの外のなにかで取り上げられるという充実感を求めるくらいなら、ネット外では絶対にこれを体験することができないという自負を持つべきである。それは、自分の書くものに対しても、扱うネット上の話題についてもそうである。ネット外のメディアはすべて遅れた古いものだと思うくらいでよいし、そんなものから評価される必要はない。
・自分の人望だの意見だの商品的価値だのについてのつまらないプライドはまったく必要ない。そんなものは犬にでも食わせるといいだろう。それなら自分の書いている文章自体についてプライドが持てるようにすべきである。
・したがって、誰かが自分の人望や意見や商品的価値について中傷したりする場合は、その人は完全に的はずれである。捨てておくといいだろう。ヒマだったらそんなものにはあまり興味がないということを言ってみてもいいが、そういう手合いにはそれ以外の理由でwebサイトを運営する人間がいるとはまるで思えないだろうから、おそらく信じてはくれないだろう。
・もちろん、文章だってつねに発展途上にあるから慢心する必要はない。
・「いかに常識的ではない、異常な、無意味な、無関係な結論に読者をうまく誘導するか」を文章では心がける。
・チャート情報については、純粋に「売上げ」という側面にだけこだわって話すべきである。
・ツール情報はすべてを網羅する必要はまったくない。必要で十分なものだけにする。ただし、まったく知られていないが優れたツールがあれば極力紹介する。ツールの選び方は「割れずに使える」「楽ができる」「これだけあればなんとかできる」という点を満たしたものだけを紹介しようと思っていた。
・他のwebサイトと話題が重なることを気にしてはいけない。方針があればある程度「自分が選ぶべき」ニュースが特定できるので、自分の方針にこのニュースが必要だと考えるのであれば、それは必ず紹介すべきである。他のサイトが扱うからという理由で自分の扱うべきものを退けるのは間違っている。ただし、自分が本来扱う必要がないもので、他のサイトがどうせ扱う話題であれば、簡単に見捨てて構わない。「どうして○○を扱わないんですか」とたまに読者から聞かれると思うが、特に理由を説明する必要はない。他がやるならうちはやる必要がないとでも答えておけばよい。
・ただし、「なるべくよそ様が扱わないニュースを扱いたい」というディスクレイマー自体はその通りである。逆にもし自分の扱うようなニュースを他のサイトが扱っていたら、自分とは別ものだという見方をするべきであるし、実際そうでなくてはならない。
・ディスクレイマー「なるべくよそ様が取り上げないようなどーでもいいことを中心にしたいですが、基本的になんでも。管理人のいい加減さにより、デマ、噂、誤った情報なども平気で扱いますのでご注意ください。リンク先はすでに切れている場合があります。ご了承ください。」とは、あらゆる批判が無意味であることを表している。無意味というのは批判は退けるという意味ではなく、作者自身がすべて無意味であるとわかって書いているようなこのwebサイトに対して批判や注意および記述における間違いの指摘を加えることには、なんら意味がないと言っているのである。しかしこのディスクレイマーを読んでか読まずか、読者もしくは生意気そうなwebサイトをイジメてみたい第三者からの批判やエラーの指摘は偶発したが、もともとこのディスクレイマーがあったために作者はいっさい反論する必要がなかったので、へらへら笑いながら指摘された箇所をルールに則ってなおしてみたり、直さないまま放置してみたりした。そもそもタイトル自体がディスクレイマーになっている。「どーでもいい」とはそういう意味でもある。
・できるだけ簡単そうに書く。誰でも真似ができそうに書く。いい加減にやっていそうに書く。時々本当にいい加減に書く。明るさと軽さとスピードのあるものを心がける。重苦しいテキストが高尚なものだとは絶対に思ってはいけない。
・単なる尊大な読み物など、少なくとも作者はwebで読みたくはない。したがってキャラクターとして尊大に書く必要が出た場合には、誰の目にも明らかに作者が間違っている部分を作る。記事を読む上で前提となる一般常識が間違っている、記事の読み方自体が間違っている、「知らないんだけど」、など。

トップページについて

トップページには元々、トピックスで扱うまでもないちょっとした話題や、管理人からの連絡事項的な内容が書かれていた。しかし、そんなものが毎日あるわけもないので、その時思いついた適当な文章を書いてアップした。ここに書かれる内容はよほど意図的なものでない限りは本当になにも考えずに書かれている。したがってトップページにはほとんどの場合、事実だけが書かれていたし、作者は意図的にそうであるように心がけた。これはなぜかというと、どーでもいいトピックスを書いている人としてのrhymeという人間が、どーでもいいトピックスを降りたときにどういうキャラクターであるかをここで表そうと考えたのである。これには作者自身とrhymeという人間を切り離すという意味もある。ムーノーローカルの書き手はキャラクター的には二重構造になっていたわけである。
しかし、前述したようにトップページにはその時思いついたことだけを書いていたのも事実である。ではいかにしてキャラクターをコントロールするかというと、ここでは「書かれないこと」でそれを操作するようにした。rhymeという人間はインターネット上に存在する人間である。彼は肉体を持たないが、いつ見てもなにかをやっているように見える。そういう人間として定義した。だから彼がどこに住んでいるか、なにをして暮らしているのか等はほとんど語られない。少なくとも最初の一年は呆れるほどそれらについては語られなかった。しかし彼はいつもなにかをやったり思ったりしている。一日に何度も更新することで、読者は彼の生活を見ることができるが、もっとも具体的なことだけが書かれているため、逆に彼という人物を特定できない。
これは別に身元を知られたくないその他の理由だけには基づかない。どこに住んでいる誰であり、何をしている人間かという説明が読者に不快感を与えるのではないかということを考えたのである。たとえば夕方のテレビニュースを読んでいるアナウンサーに我々は何の不快感も抱かないが、彼がブラウン管上で突然彼の個人的な話ばかりを始めたら、多くの視聴者は不快感を感じるであろう。ニュースのアナウンサーとは「誰でもない」ことが重要であり、それだけがその人を形作っていなくてはいけない。ただしアナウンサーのタレント的な側面を除いて考えた場合の話であるし、どちらにせよタレント的な側面とは本人以外の人物によって見いだされるものであり、自分からそれをわめき散らすアナウンサーなど、誰も見たくはないであろう。
作者は別にrhymeがアナウンサーであると言っているわけではないが、手垢の付いたような過剰な「個人らしさ」というものはムーノーローカルには不要であると考えた。反面、個人サイトとしての面白さに「個人らしさ」がないというのは本末転倒である。そこで、「今なにをやっているか」というもっとも具体的なことだけが情報として提示されるが、その人じたいについては実は何一つ語られていない、というスタイルを取ることでバランスを保とうとした。
その他の「語られないこと」とは「何が嫌いか」という話と、「他のサイトの批判に相当するもの」である。これは書く必要がない。自分ですら何かを考えて運営しているにもかかわらず、他の誰かが作っているものがそうでないと判断することが作者にはできない。軽々しく批評できない。これは「どーでもいいトピックス」において「自分も含めたあらゆるものを軽々しく考えて語る」という手法を取っているのと全く逆である。それが「どーでもいいトピックス」というステージを降りた「rhymeさん」という人間のあり方であるとした。こうすることで、「どーでもいいトピックス」の明かな馬鹿馬鹿しさと演技性が際だつと考えた。
おそらく、トップページがもっともムーノーローカルにおいて人気を博した理由はここではないかと作者は想像する。どーでもいいトピックスは、読んでいるとおおかたの読者は飽きるようにできているのではないだろうか。毎日同じことしか言っていないからである。そこで読者はトップページを読み、そこに「rhymeという人間」のようなものを見て、それを一つの読み物として楽しんでくれたのではないだろうか。しかし、トップページが意味を持っているのはある程度どーでもいいトピックスが存在しているからであり、それがないとrhymeというキャラクターを「トピックスを書いている人の日常」として捉えることができず、単なる一人の男の日記程度にしか読むことができない。トップページが面白いと言ってくれた読者のほとんどはもともとどーでもいいトピックスを面白いと最初に思っていた読者であり、また「一度どーでもいいトピックスに飽きてトップページしか読まなくなったけれど、しばらくしてからまたトピックスを読んでみたら面白いですね」という感想をかなり頻繁に受けたのも、こういう背景があるのではないだろうか。
ただし、繰り返すが後期には以上に書いたようなスタイルからは意図的に逸脱された。トピックスはほとんどスタイルを変えなかったが、トップページはかなりそのスタイルを変容させたと思う。それはrhymeというキャラクターを変化させたためである。rhymeという人間に注目が集まる必要がないと思って作者はムーノーローカルをはじめたが、必要以上にrhymeというキャラクター自体に注目が集まったため、単純に作者が浮かれて舞い上がっただけである。しかし、それは読者がrhymeという人間を受け入れてくれたからなしえたことなので、読者に本当に感謝している。

rhymeについて

rhymeというキャラクターについては上記トップページの項に書いたことでほぼすべてだが、他に書き足すことがあるとすれば、彼は何でも知っているかのように振る舞うということである。これは主にトピックスでそうだったと思う。理由はできるだけ幅広い読者の興味に対応する必要があったためと、またそれこそテレビアナウンサーが「全く知らないことをさも知っているように語る」からである。それはもちろん評価されないことだが、テレビ的には実はごく自然なことであるし、そうでなくては番組にならない。しかし、アナウンサーが読んでいる原稿も、まったくなんの調べもなく書かれたものでないことからも明らかなように、作者も自分の知らないことについてはある程度webで下調べをしてからrhymeに話させた。もちろんすべてを知っている必要はなく、話題の上での最低限の説明ができればいいのである。幸運なことにテレビと違うのは、「知らないんだけど」という文句が通用するところと、間違いがあったら訂正すればすむことである。ただしそれでも、確証が持てない部分はほとんど捨てて、誰が読んでもまあ問題がないという程度のレベルのことだけを書くべきである。どうしてもそう書けない場合は、全部をぼかして玉虫色の内容になってもかまわない。むしろ玉虫色の内容であるということを読者にわからないようにスムーズに読める文章を書くべきである。どちらにせよ「自分がこれを知っている」ということを言うために書くものではないし、そういう書き方をしていなければ問題は少ない。絶対に読者に対する啓蒙などを目的にしてはならない。それは自分が知っていることについてでもそうである。
rhymeのキャラクターとしてもう一つ考えたのは、読者や他のwebサイトの管理人諸氏などに対して優しい人間であるということである。そうであった方が「どーでもいいトピックス」がrhymeの行っている演技であるという点が際だつし、人間的に面白い。第一、どーでもいいトピックスに書いているそのままの人間が読者に接したら、そんなサイトが幅広い読者に支持されるわけがないし、ムーノーローカルはある程度開かれたエンタテインメントを指向しているので、いたずらに読者を退けることはしない。
「誰が読んでも全く意味が分からない内容」や「ごく一部の読者に対してのみ意味が分かる内容」が最初のうちは書かれたが、上記のようになるべく多数の読者に対して開かれたページでありたかったので、後半はそういう内容はなるべく控えるようにした。
また、rhymeには「ヒサシくん」という友人がいる。これは実在の人物で、彼についてトップページに書かれたことはおおむね事実だが、それ以外の家族友人知人の類についてはほとんど登場させなかった。管理人の個人的な交友をダラダラと書いても読者がそれを読んでくれるとは思えなかったし、また「rhymeの友人と言えばヒサシくん」という変なキャラクター性を持たせたかったのである。また、彼についての話題は「彼がrhymeに優しい、いい人である」ということを裏付けるエピソードを多めにして、そういうキャラクター性も持たせてみた。

FTP交換入門について

インターネットにおけるネット技術的な入門とは、技術だけに特化されて書かれることがほとんどだが、その技術の使用者の姿勢のあり方、運用方針の採り方、運用におけるすべてのケースに共通して流れる考え方について書かれることはほとんどない。そこで、技術的な内容はすべて廃して、方針の採り方だけを書いたページがあったらいいのではないかと思って書かれた。したがって必要のない人にはまったく必要のない文章である。FTPコマンドの解説から発展させてUNIX系OS操作の基礎を学ぶ、などのコンテンツもありえたが、それは上記のようなコンテンツの意図とはまったく異なる内容になるし、作者はそもそもそんなものに知識がある人間ではないので、書かなかった。

ニュースサイトリング、掲示板モードについて

ニュースサイトリングおよびマルチスレッド式掲示板については、レンタル先から無償で提供を受けたので設置した。もともと「個人ニュースサイト」というスタンスをことさらに標榜するサイトではなかったので、その音頭取りのようなことをするのは非常に心苦しかったが、運営を続けた。そのせいであまり手をかけたコンテンツにはできなかったと思う。「個人ニュースサイトリング」というもの自体はあってまったく構わないものなので、自分が運営していなければ期待して眺めることができたのかもしれないので残念だ。掲示板モードについても、マルチスレッド掲示板をおざなりに置いただけという印象である。もともと作者は「自分の掲示板」というものを持つこと自体にそんなに興味がなかったので、非常に苦慮した。
参考までに付け加えると、もともとムーノーローカルに設置されていた非マルチスレッドによる掲示板も「webサイトには掲示板を置くらしい」という本当に軽はずみな理由により設置された。しかし、その後ニュース投稿が多く寄せられ、掲示板自体として別の面白い価値を見いだすに至ったのは書き込んでくれた読者のおかげである。しかしこれは運営がある程度軌道に乗らないとどうにもならないものなので、掲示板はいらないと思ったら設置しないのも一つの方法ではあるが、最終的に作者は設置したことによって読者にムーノーローカルという一つの場所があり、人が集まっているということをはっきりと見せることができるので、設置してよかったと思う。ただし、掲示板に書き込みをしてくれる人だけにこだわっていると小さな閉ざされたコミュニティーを作る結果になるので、rhymeというキャラクターが「読者に優しい」というものだったので、礼節は尽くしながら比較的ドライでいるように心がけた。ムーノーローカル作者が自分を中心として信者とか集団とかいうものを作り上げるのは、結局読者にも作者にも面白い結果はうまないだろうし、もちろん見て気に入らない人も増えるだろうから。だからこそニュースサイトリングなどに手をかけられなかった。

ニセUG用語辞典について

よくある「UG用語集」のパロディ。最初はhtmlで作っていたが、単純にバカにしていると思う人がいるのは本意ではないし、こんなものにわざわざhtmlを作っても意味がないのでソースにコメントタグで埋め込む形にした。要は「悪魔の辞典」などの類。

その他

・デザインについて。色数は少な目にするべきで、かつ環境に依存せずに見られるものがよい。これは初期のWiredJapanがすべて256色以内で作られていたことを参考にした。ムーノーローカルは背景以外はたしか256色で表示が可能ではなかっただろうか。
・画像は少な目にするべきである。むしろない方がよい。広告その他のバナーを設置するのは苦渋の選択であった。
・役に立たないものを作る。真似をしても意味のないページを作る。
・誹謗・中傷は無視すればいい。他に何かしてあげる必要はないが、そもそもこちらの運営意図を知って誹謗中傷を行う人というのは少なくとも作者が見ている限りでは、いなかった。主にあったのは「毒舌ぶっている」「バナーを押させようとしている」「人気があると思っていい気になっている」などであったが、いずれも事実もしくはムーノーローカルの意図とは異なるし、相手に対してそれをこと細かく説明する必要もない。ただ、誹謗中傷は時に純粋な読者を巻き込むので、その場合は管理人として対応した。対応というのは「ご意見ありがとうございます。でも閉鎖はしません」と書くだけでよい。
・インターネット上でしかできないものを作る。他メディアに持っていこうともしないし、持っていっても面白くないし売り物にもならないものだけを作る。
・アクセス数は一日10000ヒットを超えたら、もう伸ばすためになにかをやったりする必要はない。それ以上は増えるに任せるが、増えなくてもいい。
・rhymeはつねに読者を騙し、裏切っていたと作者は思う。